2005/3/20 日曜日

お彼岸に想う

Filed under: エッセイ — patra @ 6:26:35

東京大学学友会ニュース創刊のお知らせが父の名前で届いた。生きていれば工学部木葉会の、卒業生名簿か「13年会」の僅か数人の列に加えられるのだろうが、いや、もう何も欲する所のない父は存命であっても、きっとこの手の通知をゴミ箱へ放り込んだであろう。
名も無いかわりに欲もなく、誰をも泣かせない生き方を貫き通し、見事に覚めた人であったからあらゆる柵を捨て去った晩年だった。

『礼記』(坊記篇)のなかで孔子は、「死は民の卒事なり」(死は人生最後の一大事である)と解いているが、案ずるより本当に呆気無い幕の下し方だったので墓石もそれに習う事として、予てより選び置いた文言を一字彫ることにした。

浄土宗では亡くなると、まず戒名を授かり仏弟子となって、阿弥陀仏のお導きで極楽浄土へ行き、更に修行を重ねて悟ることで良き転生を計る・・・と教えています。父は生前、忍のお修行を充分なさったので、さらなる修行は懲り懲りとでも考えたのか、生前、葬式無用、戒名無しと歌うように繰り返すのです。そのせいで浄土へ行かれないとしたら、それこそ一大事である。
そんな事のないように選んだ文字は『恕』すべてのものを赦す。という意味を含む一字です。
孔子の弟子、子貢が「ただ一文字、選ぶとして終生行うべきものは有りや」と尋ねると「それは恕なり」とお答えになる、かの有名なる『恕』です。これを墓石に彫る事は大分以前から密かに決めていた事ですが、それは私個人の願いでもありました。

『恕か!、それは良いネ、俺も一緒にその墓石に入れ欲しい・・』と、私の提案を聴くや否や手を挙げて嬉しそうに賛同したのには驚いたものです。滅多に私の意見など眼中になく口も挟まずの父が、谷中の自分の両親の墓には入らなくとも良いとまで熱心に申すのですから。「それも賑やかで良いね、それじゃ一緒に」と息子も即答しました。ちょうど今から十年も前のことでした。

「恕」とは、一般的に解釈すれば仁に通じる心、忠恕(ちゅうじょ)と表現されます。
忠恕とは、真心からの(忠)、人への優しい思いやり(恕)を言い表します。
「それは恕である。己の欲せざるところ人に施すことなかれ」と孔子は答えた、と訳されて有名です。
もちろんそうでありましょう、が、40年この文字をひたすら睨んで来た私は、この「恕」を万物をゆるす・・と言う意味にも汲み取ったわけです。これは我が家にぴったりな文言です。健康であれば人生の半分は成功したも同然、その半分が端から約束されてはいない我が家ですから、適当に苦労の連続でしたが何とか折り合いをつけて楽しくやってきました。これほど似合う文字はありません。

誰に書いて頂くか?で大層思案したこの文字を、結局忙しい中、息子が少しだけアレンジした原稿をメールで送ってもらい、器械で彫って頂く事になりました。肉筆を石に写す場合、線が細くなり案外見栄えが悪いことが有る、と石屋さんから聞いたからです。

自由な発想の葬儀や墓碑を作れるようになった事も嬉しい限りです、時代は確実に変わりつつ有りますが以前のように何もかも不透明な、儲け主義ばかりの商売が少なくなったのも貧乏な我が家にはとても助かります。核家族が多くなるこれからの世の中で<卒事たる死>を一度は、身直に自分らしく考えておく事も、実に大切だと想っています。
物事には常に終わりがある事を自覚しつつ、尚、楽しく人生に責任を持ちたかったので、呆れられるくらい時間を費やしたのですが図らずも、ひたすらに生き修めた父に、もっとも似合う一文字となり、終焉の演出も実にたのしいものに代わることとなった、其れは「恕」なり、でした。


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