2004/12/31 金曜日

なぜ?腑におちない別れ

Filed under: 家族 — patra @ 6:23:38

あまりにも急な訃報の知らせが病院から姉にあり、姉から私へ。29日の夜中1:59分に遂に父は亡くなりました。
部屋を代わったその日の面会までは苦しそうでも強気に母と話をしていたのに・・・・

かねて検索してあった葬儀社の方に連絡、夜中の3時過ぎには自宅へ戻るとの事で、その間に父のベッドを綺麗にし枕を北へむけてから御来迎図を飾り、枕花用にクリスマスに岩手の友人から頂いた花を急いで運び、大急ぎで枕団子のかわりにご飯を炊く・・哀しみよりも呆気にとられて、ただただ慌ただしく手落ちのないように部屋中に目を走らせると父の覚悟がみえてくるようで、ドキっとする。
著作の一部を載せてもらったイギリスの雑誌のコピーとかお数珠が机の上に分かりやすく載せてあるではないか!今までは目に止まらなかったものが全て意味を持ちはじめてみえる古い、古い部屋。

真っ白い顔の穏やかな表情で戻った父、知らせを受けて動転して駆け付けたので母も姉も父の着替えを忘れ寝巻き姿のままベッドへ横たえられました。

「これではダメ、好きな和服を着せてあげたい」と叫ぶ。あぁ。やっぱり気持ちが動揺していたのだろう、ベッドに着せる着物を襦袢と一緒に重ねて広げておくのをすっかり忘れてしまったしもちろん病院へ持たせるのも忘れた私だ。

諦め切れない私を見て姉の御主人と葬儀屋さんが苦労して、パジャマの上から片袖づつ腕をとうして無事に着せてくれたので安心し、改めて父のお顔をみるとまるで静かに眠っているようで暖かいのだ。

「おつかれさま、家ですよ」声をかけたら急に哀しさがこみあげる。なんだろうこんなに呆気無い別れとは?納得がいかない、「ほんとに死んでしまったの?暖かいのに、息を吹き返すんじゃない?」と振り返ると母もキョトンとして座ったまんま答えない。
手際よくお経机に白布をかけお通夜の用意をする葬儀社の方を呆然と眺めるしかない我々家族は父を病院へ入れたことをとても後悔したが最早、術無し。

暮れに出す葬儀は色々と迷惑をかけるので密葬にすべく打ち合わせをするうちに外は霙まじりの初雪・・・なんだかその冷たさが胸に堪えたのだ。
腑に落ちない唐突な別れに脳が対応できていない。

パリ組みの帰国は31日5時頃なので、焼き場の3時までには無理なので知らせずに葬儀をすることに決めた。なぜなら正月の3が日は焼き場はお休みなので、4日過ぎまで安置してしまうと冬とはいえ仏様に申し訳ないだろう、と意見が一致したからだ。家でお通夜も葬儀もするつもりでいたが、棺桶が出ない階段の狭さに密葬ならば御近所にも知られずに済むのでお墓を買った親戚のお寺へ通夜もお願いするように交渉し半日で用意万端整えた。

そして29日通夜の30日葬儀が無事に終わったのだ。

それにしても何と間の悪い時期に亡くなった世間騒がせな父であることよ、と思ったがお酒好きな父らしい暮れの押し迫った幕引きではある。

「側に居てあげられなくて、ごめんなさい」察した息子から電話が在った。今日の夕方にはお骨になったお爺ちゃんと対面するなんて人の命の儚さに、いまごろになって涙がでるばかりである。


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