2004/8/20 金曜日

自分への覚悟としても

Filed under: 仕事 — patra @ 1:23:21

ぶりかえす暑さというのは実に堪えるもので昨日は朝1、2時間しか眠れずにダルサで起きてしまう。

新聞を開き何となく訃報欄に目をやる癖は最近の習性になってしまったのが哀しい。ぼんやりとだが毎朝チェックする年代に来てしまったのだ。すると、遂に親しくお仕事を御一緒したCMディレクターの先輩の名前を発見してしまったからショック!同年代の64歳、働き盛りの死因は脳硬塞・・・。目眩ばかり多い私の最も畏れている死因だった。

根本光晴氏は数々のヒット、特に「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」丸大ハムが有名だけど、私の唯一の演出作品となった車のCM「ダイハツ・ミラ・シャトレ」のプロデューサーをしていただいた方なのです。84年の春、「これからは女性の時代だからさ、女性の車は女性が演出したほうがいいよ・・」と軽いノリで私を指名され、何を血迷ったか、そそっかしくも引き受けてしまった私の思い出すのも怖い大汗をかいた仕事である。

分不相応にも私に三沢さん直々の特機、クレーンまで用意してくださって鳴り物入りで応援してくださった。
ナレーションは桃井かおりさん!!と言う贅沢さだし・・・
が、現実はそう簡単にはいかず、完璧?なコンテで撮影に入ったものの15秒30秒60秒の編集に素材が足らず、「捨てカット」を撮る余裕など、全く無かったド素人の私は編集で窮地に陥った。苦慮の末、前後に同じ繪を繋いで稚拙に編集してみせ、得意になってお見せした。それを大幅に根本さんが繋ぎ替え、猫の尻尾を何度も振るカットをリフレイン挿入するテクニックで尺の不足を誤魔化してくださった。、
「前後が同じ繪だといかにも繪が足らない、とバレちゃうよ。」畏れ入った。鼻息ばかり
荒くても基本が出来ていないスタイリストあがりのエセ演出家はたった1本で撃沈したのです。

考えたら最後の引退仕事も92年に1本、へレン・カーティスのヘアトリートメントが根本さんの演出だったと記憶している。仕事場が楽しくてオフも楽しい気くばりの方だから絶えず賑やかでした。料理とお習字が大好きで墨あと黒グロとした繪手紙の元祖みたいな人、なぜ、こうも良い人ばかりが先に逝かれるのだろう・・・・心からご冥福を祈ります。


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