2009/10/19 月曜日

ポルトガル、路傍の主婦

Filed under: 人物,友人,時代 — patra @ 17:55:07

私には大昔、妹分のような青目と弟分のようなケバちゃんという若い友人が居て、ゴチャゴチャとした、勢いだけが溢れていた60年代の貧しいけれど愉快な青春を共有していた時期がある。その頃の友達はある時期から一斉にして私の目の前から消えた。不思議でも何でもない、彼等の殆どが亭主殿の連れてきた若者だったから、我々が別れた瞬間から没交渉となったのだ。もう四十数年も前の人々のそれが思い遣りだったとおもう。思い出す事もなかった。
今朝、[mail to patra] がまた届いていた。うかつな事に私はこれを先週までスパムと勘違いしポイポイと捨てていた。よく書き込んでくださっていた酔仙亭さんが職場を変わるらしいのでコメントを入れご挨拶をしたら、「以前、patraさんにメールフォームから出したメールを読まれたかな?」との返信があった。自分の間違いに気がついたのです。見慣れないアドレスは兎に角過敏になっていたのですが、なにより老化でもありますね。

話は戻り、今朝の[mail to patra]を開いて驚いたのなんの・・・あの時代の二人が、後に結婚し幸せにポルトガルで暮らしているよ!と言うお知らせでした。私が知っていた青目 海(あおめ うみ)は寺山修司さんの天井桟敷に居て、切符を売りにきたのが出会いでした。その後も色々あって、でも何処となく掴み所のない正体不明の女の子でしたが人間的センスは私より遥かに度胸の据わった子で、60年代を代表するような新宿、風月堂に屯する女の子、あちこち泊まり歩き自由自在に生きていた。その逞しさににも子育て中の私は舌を巻いていました。

何を言いたいか!というと私がボンヤリ暮らしている間に、彼女曰く世界的?漁師になった夫、ケバちゃんと今ポルトガルの漁師町から素敵な本を沢山出している脚本家になっていた!と言うお知らせでした。彼女のメールに依れば、当時、私を憧れていたと書いてくださってますが、かたじけない。とんでもなく大物に育っていたというサプライズだったのでした。おほっ、絵も写真ももちろん文章も、今度は私が教えをうけたいくらい・・・素晴らしい人気ブログです。ほら時刻みもこうして若かった友人を本物に育てて返してくださった。

我々夫婦の失敗を、ごく身近で見ていた彼等は、きっと何かを学んだのかもしれません。
彼女はこう結んでいます。「彼は優しく勇気があり、よく働く男でありました。おかげで私はあのころとあまり変わらず元気に遊ぶ主婦となりました。」
こんな冥利を言える主婦はポルトガルにもきっと居ませんね。
本を是非、買って読んで欲しいです。「南ポルトガルの笑う犬―アルファローバの木の下で」
ブログにも微かな媚薬がひそませてあります。ぜひ!


経年効果

Filed under: 人物,時代 — patra @ 0:00:06

職業の選択の中にも経年劣化と時間が経つほど価値が増すものがある。若いときはこの差を全く理解できなかった。長く日の目をみない苦しい修行の末、技術も実力も増す職業をできれば選びたかったものだ。今日、3年前に私の香合仏を作ってくださった安田明玄仏師から来月の11CIMG4582CIMG4579月4日に始まる展覧会のご案内が届いた。日本橋高島屋の6階、美術工芸サロンです。非常に嬉しい。何故なら私が師に香合仏を作って頂いたのはネットで仏様を見て一目惚れしたからですが、高島屋の展覧会の後だったらとても注文などする勇気が出なかったとおもうから・・・(汗)私がもしお金持ちだったら才能を応援する人パトローネになっていただろうな〜。其れが一番似合うのだけど残念な事だ。だからせめて,感動隊、励まし隊の一員でありつづけたいのです。ちなみに安田仏師の奥様洋子さんはご主人の彫られた仏像に截金ー彩色を施されます。夫唱婦随のお仕事を選べるなんて羨まし過ぎて目眩がします。すばらしい作品です。ぜひ見て欲しいです。


2009/10/18 日曜日

刻々は希望の音

Filed under: 人物,料理,日々雑感 — patra @ 1:05:17

CIMG4562CIMG4568朝は部屋の電源を冬仕度ようにするために何時も来てくださるヘルパーさんにお願いし直していただく。狭いベッドの裏側へ回ってチェストをどかし、外れてしまっていたコンセントを壁の下側に差し込むという面倒な仕事を嫌な顔一つせずに嬉々として・・・。家に見える3人のヘルパーさんは、どうしてあんなに優しいのだろう。感謝で胸が一杯になる。昔、仕事をしていた現役時代、私も含め強過ぎる個性ばかりに取り巻かれていたので今のヘルパーさんやケアマネジャーさん、訪問看護師さん達の健全な心根に、常に感動してしまう私です。平凡は尊い。
そして個性の塊のような加藤和彦さんの訃報をtwitterで知った。無常なり。
骨折前では考えられなかった不自由な暮らしの筈の今、何一つとして不便も寂しさも感じない暮らしをしている不思議がある。まず今まで出会う事も無かった健全で素朴で明るいお母さん方や未亡人の働く婦人に支えられている生活の笑いに満ちた暮らしは、私の中の大きな変化から動き出した気がする。自立、自立と躍起になっていた頃は「お願いします」「ありがとう」「ちょっと手伝って」が苦手だった。ところが逆立ちしても出来ない事が多くなった今、この「お願い」と「ありがとう」が自然体に成っている。我ながら吃驚。何もかも自分で抱え込むと結果は人に対してのコミニュケーション力が希薄になる事に、入院中、嫌でも気づかされたのだ。時が止まり自分が退行してるような錯覚の時でも秒針は刻々と刻んでいるんです。人の持つ可能性を刻む時を。だから無駄も無意味も時の中には1秒も無い。そう考えると絶望の淵に居る人にも知って貰いたい。今刻んでる秒針が後半分も過ぎれば・・・考えも生き方も変わるって事を知ってもらいたい。秒針を刻む律儀な「時刻み」を自分から止めちゃうなんて、だから勿体ない。刻々は明日の音、希望の音。


2009/10/17 土曜日

アップルソースとポークソテー

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 0:05:44

CIMG4553CIMG4549紅玉リンゴが美味しくなると真っ先に作るアップルソース。裏ごしはせず銀杏切りしたリンゴを蜂蜜とバターで煮る。ポークソテー用の切り身を叩いて薄くし、塩,胡椒に少しシナモン。付け合わせはジャガ芋、人参のグラッセ。ニンニク芽のソテーに椎茸とシメジのソテー。お皿に付け合わせを奇麗に盛ってから・・・熱したフライパンで豚を焼く。良い匂い。このカロリーの高い一皿のために紅玉の熟すのを待つようなものだが、林檎のクエン酸は脂を消化してくれる大事な組み合わせ。見事に完食の母。白血球の数値は高い母だが、今日見えたケアマネジャーさんも表を見ながら「手術してたら食べられないし、こんなに元気ではいられませんね。良い選択だったと思う」とにっこり。人の生き方もこれだけ様々な選択枝が許される時代だ。病を得ても学ぶ事は沢山ある。少なくとも今食べられる幸せを思う事にも意味がある。

【患難に素しては】

「患難(かんなん)に素(そ)しては患難に行なう」
──病気をすると、辛いことは辛い。
しかし、またその病気の中に無限の意味もあり、
効用もある。快楽もある。

 『安岡正篤 一日一言』より
「あぁ、美味しかった」を聞くことが今は一番の幸せ・・・


2009/10/16 金曜日

同じ物が続くと

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 1:32:07

CIMG4523CIMG4532台所事情としては材料を使い切るのに家族が少ないというのは結構、難儀。でも余すわけにいかないので日を置いて大根再び登場です。鶏のソボロで少しアレンジ。一昨日の豚キムチも百グラムでも2食分。なんだかんだ言っても大分,食は去年より細くなった母に、毎日目先を変えてあげたいですけど2日置きには残り物大会になっちゃう。牛蒡の薩摩揚げとモズクの胡瓜揉みが好評でした。急に夕べのご飯をアップしたのには・・夜なべしてらっしゃるお友達へ(笑)


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