2010/7/11 日曜日

葛餅と梨

Filed under: 家族,料理,日々雑感 — patra @ 3:11:06

IMG_0762IMG_0765IMG_0764この1ヶ月で2キロも体重が減ってしまった母、一昨日教わった葛湯を飲む?と聞いても「未だ、そんなの早いわよ」と答える。
物忘れは多くなったが、いわゆるボケ老人では無い。自分なら大丈夫、と思うらしく重病人扱いも出来ない。

一緒に買ってきて貰った天野屋さんの葛餅を喜んで、2枚づつ、2度に分けて食べた、と空のお皿を持って降りてきました。何か持って杖では、もう危ないので持って降りなくとも良いからね、と注意する。
夕飯はお粥よりエンシアを飲む、というので、やっぱり胃が重いのだろうか。
姉は平成7年の9月に直腸がんを宣告され、手術してから転移まで、たったの丸2年と8ヶ月で逝ってしまったのです。
母も1年経つのでとても心配です。当人は春まで頗る元気だったので、自分では又元気になれると考えているのでしょう。

懸命に食べて体力を保とうとしています。大好きな温泉タマゴをいのち綱にしています。
2階から降りてくるなり、演出家の黛氏、女優の奥様平さんから届いた梨を見つけ大喜び。薄く切ってあげたので5切れ食事の前に「では、さっそく」と言いながらシャクシャク・・・音をさせて美味しそう。

海老とホタテに片栗をまぶし、生姜と葱で香りを出し塩と日本酒、中華スープで味付けした中華はホンの一口。
卵を喉に流し込みモズクのホウレン草和えを食べて終わり。
ちょいと前まで、丈夫そうな二の腕の皮膚が緩んでげっそり痩せています。
44キロから42キロ、そして先週40キロまで落ちました。

もう・・・

何だか正視できません。

立て続けの別れとならないことを、せめて祈るしかありません。


2010/7/10 土曜日

脳の疲れ

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 5:11:32

昨日は会話の中で梶井基次郎の名前が出て来なくなり焦った。ほぼ13分くらいかかった。全く日々呆れるくらい物忘れが多くなっています。
母だけ先きに冷や奴にタップリオクラと茗荷とオカカでお粥を食べさせる。

CIMG7504つまり脳が疲れ過ぎているから眠れない、食欲が無い、そう理解し,夜は母が嫌いなマグロと母にも出した心太で軽く日本酒。何故マグロが嫌いなの?と訊いてみたら
「味がしないから・・・」そう答えてました。嫌だな,私もマグロの味が分らなく成っちゃうのかな〜。

最近連絡が取れ難かった息子から夜中に電話、ブログ記事に注意があった。姉が喜ばないだろうと!確かに仰天ではあっても先方にお任せするしかないし。
ストレスを貯めないためには書きたい事を正直に、が一番なんだけど・・・

家の方の親戚だけで母を慰める会をするかな・・・


2010/7/9 金曜日

そして海老フライ

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 13:41:20

CIMG7500CIMG7499CIMG7500CIMG7495去年宣告されてから1年と1ヶ月経った母は,確かに飲み込む機能が衰えはじめています。

ゆっくり好きなものを少しだけ・・・

命をつなぐにも、これからは一層用心深さが必要になります。

観察していると

未だ「食」への執念があります。ほんの一口でも、食べたいものが食べたいようです。

先日はTVのCMでどうしてもチキンラーメンと言い張るので、卵をのせる例のヤツを出しました。

三口食べて「こんなに不味いの?」といい箸を置きます。捨てます。そんな繰り返し・・・・

昨日は海老フライを喜んで食べました。姉が居なくとも変わりのない日常がつづきます。


2010/7/8 木曜日

埴谷雄高の示唆する宇宙感。

Filed under: 人物,時代 — patra @ 13:06:03

キリストを、釈迦をも指弾しつ「最後の審判」は本当は意味がない。あたらしい「存在の拡大」の思想を造り出すべき・・・と説いている私の最も好きな章です。13章でのキリストに続き釈迦をも弾劾するチーナカ豆の鋭い言葉に身震いしました。文学の表現の自由を最大級に味わった瞬間です。

★13、14はエラーになってしまうのでダイレクトに興味のあるかたは埴谷雄高の動画特集からご覧ください。


日常は続く、姉が召されました。

Filed under: 家族,日々雑感 タグ: — patra @ 11:28:52

IMG_0751CIMG7487CIMG7489IMG_07507日の朝,姉のご主人から電話があって「どうも危ない」との知らせ。一応母を行かせようと支度はさせるがやはり姪の前で取り乱されても不憫なので迎えに寄ったご主人に伝えると「そのほうが良いでしょう」と少し痩せた頬を緩め、母の肩に手を置いて慰めてくれました。
夜になっても電話はありません。それでも生きている人間の日常は続きます。3度目にガリラヤ湖に復活したキリストさえ「食べ物はあるか?」と問うたのです。殺生を禁じた釈尊さえ,頂く時に合掌し豆や草木を口にしました。
まして我々凡夫はお腹が空いてしまう。母にリクエストの佃権の水餃子を食べさせ,数粒の枝豆を良く噛ませ,生きて,今、食べられる事に感謝し、この歯の間で押しつぶされ噛み砕かれる諸々の「食べられるだけが目的の命の存在にまで,視線を向けた,作家埴谷雄高の言葉をも、噛み締めてみた。

「おいしい」と何度も言う母の今ある存在を見詰める・・・

夜9時過ぎに母に電話があったが、苦しませないようにモルヒネを増やしていただく報告でした。
胸が潰れる。
そして朝に「夜中の3時に亡くなった」としっかりした声で報告する姪。「さいごまでしっかり看ましたよ」という言葉に姉が自分の命を縮めてでも育て上げた娘への愛情が、満開に咲いた瞬間を見たように思いました。
泣いていないのです。すばらしい事でした。


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