昭和が終る
日本の誇れるもっとも美しい女優と男優。
こんな美しい娘と父親役の役者が日本に居た!と思うだけで感動してしまう。
衣装と言い、セットと言い本当に佳き時代の素晴らしさが・・・
父親役の滝沢修はもう大分前にこの世を去っているが、女優原節子さんは今年9月肺炎で亡くなっていたと発表があった。
永遠のマドンナ、43歳で引退し一度たりとも表に出ない、ブレナイ美しい生き方です。
享年96犀、心からご冥福をお祈りします。
昭和が終った実感が強かったです。
日本の誇れるもっとも美しい女優と男優。
こんな美しい娘と父親役の役者が日本に居た!と思うだけで感動してしまう。
衣装と言い、セットと言い本当に佳き時代の素晴らしさが・・・
父親役の滝沢修はもう大分前にこの世を去っているが、女優原節子さんは今年9月肺炎で亡くなっていたと発表があった。
永遠のマドンナ、43歳で引退し一度たりとも表に出ない、ブレナイ美しい生き方です。
享年96犀、心からご冥福をお祈りします。
昭和が終った実感が強かったです。
来年の25日は母の7回忌になります。
時が過ぎるのは早いものです。この池之端に引っ越して僅か25日で、眠る様になくなったのです。
窓から見下ろす不忍池、近くにある伊豆栄、清水観音堂を大喜びでした。
「雲の上に眠っているみたい、嬉しい」と大はしゃぎでしたから・・・
或る意味大往生でした。
着物しか許さなかった父が2004年に亡くなって以来、着物から完全洋服にした母に私と姉は良くユニクロの男物ジャケットやズボンを選んであげました。
とても良く似合って、通っていた東大病院では
「作家さんですか?」と訊かれた!と喜んでいました。
貧乏な娘だった私達は他に選べなかったのですが・・・88歳のモダンな母です。
亡くなる半年前の6月、この頃、初めて胃がんを宣告されました。92歳の時、2歳違いの妹さんの叔母サマと嬉しそうに写した写真です。
姉妹揃って90歳以上、とても病気には見えない元気さでした。
本人の希望で一切の治療はしない、と意志表示していました。良く食べてくれたので奇蹟を願って毎日好きなものを作ってあげていました。
引っ越し準備の為に9月に入院させた病院で一気に病人になってしまったのは病院で検査ばかりされ、断食を強いられたせいでしょう。
引っ越し後戻って来た母は痩せて、一度もお風呂にも入れてもらえず汚れていました。
ヘルパーさんを母親専用に自費でお願いし、せっせと綺麗にしてあげたのが、せめてもの親孝行でした。
眠る様に亡くなったお顔はまるでマリア様のように綺麗でした。
これで良かったのか?自問自答しながら、もっと長生きをして欲しかった!と元気なご老人の話を見る度におもいました。
しかし、考えれば38年もの長い時間、私は母の人生を私にできる範囲で懸命に伴走してあげていたのです。
暗い介護のニュースを見る度に、今は時代も違います。家族だけで老人を見る、という孤独はできれば避けたほうが良いですね。国が求めている家族間での看取りを
率先してしてきた私は
自分を見失わない様に生きる術も必死で探りながら老人と暮らしていました。
笑顔で楽しそうな母の写真を見ると、これで良かったのだ、と自らを慰めてみました。
引っ越しの決断も、自ら車椅子でも母を介護する決心だったのですから・・・
今は両親に護られている、と強く感じています。
今回の帰国のメインは息子にとっては父親の3回忌の法事に出る事なのです。
朝早く、道が狭く分り難いお寺での法事に出かけました。
偉いな〜と思う事は、父親の後妻さんとも仲良く付き合えることです。
無事に夕方戻ってきて、秩父の親戚とも久しぶりに逢えたようです。時枝さんが記念に市田さんの版画を秩父の和紙に印刷して、引き出物にして下さったのをパリにも持ち帰るそうです。
昔から知っているお地蔵さんの版画も数点ありました。
戻って来てから
明日検査のために食事を控えるふみチャンのリクエストの生タマゴかけご飯に付き合って、でもオデンと浅蜊の味噌汁、生酢に漬け物で食事をさせました。
田舎の人達が「懐かしがって元気?と聞いてたよ」と報告でしたw
元気できっと驚くわよね〜〜
食事の後、3人で録画しておいた「下町ロケット」を見ました。この番組が好きなんです、
ほぼ1ヶ月前、息子からメールが来て、「提案なんだけど、ふみちゃんのご両親の金婚式を家でやって良い?僕の誕生日とダブルでお祝いしようよ」
勿論ですとも!と大賛成し先ずゆっくりして頂くためにゲストルームを予約しました。
ケーキとめでたい鯛も。
明石の丁度紅葉鯛の季節ですが、もしかして伊豆栄さんで焼いていただけるか?大丈夫との事で、あまり大きく無い「鯛を予約しました。

お持ち帰り願って、鯛飯か湯豆腐に入れていただこうと・・・

ケーキも準備してw
用意が整いました。

乾杯!


不思議なご縁だとご両親が仰る。
お二人が結婚した同じ年40年の3月に息子が産まれ、こうしてダブルの50年記念をお祝いできるなんて・・・運命ですね。と喜んでくださった。
本当に嬉しかった。
こっそり亡き私の両親の60周年記念の写真も食卓に添えて置きました。
家族の少ない我々を心配してくれていたので、きっと喜んでいることでしょう。
このお祝いをしよう、と提案してくれた息子に感謝しました。
ふみちゃんのお母様に頂いたお花。
クッキーや「百年の孤独」お父様の煮た栗の渋皮煮、とても美味しかったです。男の人ってジャムやこうした煮豆、甘露煮がとてもお上手です。
楽しい、思い出に残るお祝いでした。
今日は夜、お嫁のふみチャンがお兄さんと久しぶりに逢うので夜は留守です。
息子と肉じゃがと思っていましたが、どっさりトマトを贈ってもらったので、急遽献立変更です。
玉葱と黒毛和牛と濃い味のトマトで炒め煮した一皿。
チキンのスープが好評でした。これは来週病院で検査するふみチャンの為のテストでしたが、息子が太鼓判をおしてくれました。
夜結構遅く戻ってきたふみチャン、ご機嫌でした。お兄さんと楽しく飲んだそうです。
妹はフランス、兄はシンガポールだったので今迄は滅多に逢えない兄妹だったそうです。とても仲が良いのも嬉しいです。
お兄さんから「結婚してどうなの?」と聴かれて「私は凄く幸せ!」とフミちゃんは答えたそうで、それを聴いて私も息子も嬉しかったです。
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