2016/4/19 火曜日

合田佐和子さんを偲ぶ会

Filed under: 友人,日々雑感 — patra @ 4:30:18

車椅子なので、まず外出をしない私が「しのぶ会」のご案内を頂き、行こう!と即決したのには、佐和子さんとの深い絆があったからなのです。
ホテルに電話をし、乗り換えるエレベーターで会場に行ける事を確認し、リフト付き車の予約をして、車椅子の足のせ台を探してもらい、と準備を調えて17日を待ちました。

その日は雨・・・それでもマンションの車寄せは屋根がある、ホテルも同様です。問題なく到着し、乗り換えのエレベーターまでボーイさんが案内してくれました。

一人で行く決心でした。万一の時は車のドライバーがエスコートしてくれると約束できたからです。
運良く日曜日だったので普段忙しい友人が一緒に行って車椅子を押してくれました。ラッキー
その当日の写真記録です。

何の問題もなく無事に戻って来ましたが、強いて言えば分厚いホテルの絨毯は、車の滑りが悪く、とても一人では動けにくかったことでしょう。

それに日本人の恥ずかしがる悪い癖は率先して車椅子を押す人が居ない事・・・流石にみどりさんは押してくださったけどw
もっとも一人だったら違っていたかもしれませんが。

会場の入り口で娘さんの合田ノブヨさんとご主人が出迎えてくださり、話には聞いて居た、闘病中の佐和子さんが私宛に名前を書いた封筒を5枚、綺麗な紙に包んで渡して下さった。
あぁ、あの封筒・・・
「よほど、ぱとらさんにお礼が言いたかったのだと思う、一番多かったの」とノブヨさん
でももう文字も書けなくなっていた佐和子さんは宛名だけ小さい字で書いてあり、中はちぎった紙にありがとう・・・と、ただ書いてあるだけだった、と言う封筒です。
受け取っただけで涙が溢れました。
「ありがとう」を言うのが苦手だったという佐和子さんの風吹のようにちぎった紙に、家に戻って拡げただけで泣きました。
何も入っていない封筒も、私の宛名だけは鉛筆で書いてありました。
まるで最後のオブジェの作品のように思えたからです。
この手紙を受け取る為に、私に勇気をくれ外出する気にさせてくれた佐和子さんの愛情を感じ、泣いたのです。
偲ぶ会には250人もの人々、心の繋がりでお別れしたのは、きっと数人でしょう。その一人になれて嬉しかったです。

すっかり晴れ渡った空に「佐和子さん、私こそありがとう」と何度も呟きました。


2016/4/16 土曜日

思う事いっぱい

Filed under: 日々雑感 — patra @ 17:59:14

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熊本の地震は余震が連日つづいています。
入ってくるニュースに心配が募ります.道路が寸断、崖くずれ、のために逃げ場を失った人々を思うと
悠長にお茶タイムも遠慮がちになります。
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今までの直角にしか足を載せられなかった台を角度、高さを変えられる品に交換していただけたが、これは重くて一人で着脱が出来ない。
慣れれば大丈夫か?これが自由に取り外せるようにならないと・・・
ロボコップのような頑丈なリフテッド・フットステップです。

誰にも迷惑かけないなんて傲慢だ、と言われても極力迷惑かけたくないので自立をさらに深めよう・・・

今まで何度もこの足を置く台の不具合を伝えたが、誰も答えられなかったのに介護用品レンタル業者の新人が思い出してくれた最後の台です。私の使っている車椅子も今の新品が最後。

90まで生きたらどうしよう、と長生き願望の世間と真逆、マジ心配になってしまう。


2016/4/14 木曜日

ノドグロと蕪の千枚漬けなど・・・と地震

Filed under: 日々雑感 タグ: — patra @ 22:01:33

「器量の良い乙女なノドグロでしょ?」と魚屋さんが自慢した小振りのノドグロの一夜干、去年も今頃、食べました。
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桜の葉と一緒に漬け込まれた蕪の千枚漬け
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一人暮らしだと残ってしまう煮物等、市販に青味を加えて彩りや栄養バランスを考えます。
のんびりと食事を終え、あとかたずけをしようと思ったら、9時26分頃ズンと身体が響きました。
地震?と思っても何事もなく警報もありません。
上の階の方が何か落としたのか?と思っていました。
9時半過ぎにTVで熊本の益城町が震度7だそうで、テロップが流れました。今の所、津波は無いようです。
もの凄く遠くに離れていても高層は僅かでも体感がある、しかも一早く感じるということがわかりました。
改めて日本は地震国ですね。


2016/4/13 水曜日

八重桜が満開です。

Filed under: 日々雑感, — patra @ 16:09:15

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染井吉野が終って八重の桜が満開こうして時間差のある池之端の自然を見るのは、本当に幸せです。
人生はどう展開していくか?なんて10年前は予測していませんでした。
必死で両親を護って家のお直しに明け暮れていた自分が健気だったと自分でも思います。
ご褒美だったな、しかも予期しない程の・・・DSCN1509ボートを眺めながら
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コーヒ−タイム、頂いたクロワッサンの生地で作ったラスク、飾りが一寸多くて美味しそうじゃ無いのに美味しいという意外性(笑)
先日FBフレンドに推薦され買ったお弁当がまずくて、正直に感想を述べたら引かれました。
だって本当にポロポロの不味い古米だったから・・・

美味しければ美味しいと言いますが、FBもツイッターも宣伝にばかり利用される方が多いので正直は恨まれます。実にやりにくい世の中です。


2016/4/12 火曜日

ネフェルティティと佐和子さん

Filed under: 人物 — patra @ 1:47:07

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有名なエジプトの女王、若くして亡くなったツタンカーメンの義母さまです。
ツタンカーメンが余りに早く亡くなったので、ピラミッドのお墓が間に合わず、自分用に用意したお墓にツタンカーメンを埋葬したらしい、というのが近来の説だそうで、奥にまだ発見されていない部屋がありそうだとの事でした。
実は合田佐和子サンの横顔がネフェルティティに、とても良く似ています。
その事を電話でお伝えしたら、凄く喜んでくれました。今から25年も前です。
確か作品にもなさっていました。日本橋の木やギャラリーの写真展を見に行ったのですが・・・
その後、佐和子サンとノブヨさん二人展、青山通りのワコールのビルでアンティークのお店と大規模な企画展でお会いしたのが最後でした。
池之端に越してから、また電話でお話するようになりました。
個展の相談でもありましたが、ほとんど自由な会話です。
アチコチ話が飛びながらのお喋りがとても楽しかったです。
輪廻転生の話になって
「ぱとらさんもエジプト人かもしれないな?」と言うので調子に乗って大昔エジプト展を見に行った時のアラバスターの小瓶の蓋に彫られている少女は私に似てる、と美術の先生が言ってましたよ、と話すと
「そうよ、神殿に使える下女ね」に大笑いになりました。
佐和子サンがネフェルティティで私が神殿の役に立たない下女、ぴったりよね!と爆笑でした・・・

先日、ノブヨさんと思い出話しをしていたら玉青さんとノブヨさんは奴隷だ!と言われたそうで
ならばやはり佐和子さんは女王様で幸せだったわね、奴隷と下女に護られて・・・という結論になりました。

親は時々子の人格を無視してまるで所有物のように言いますが、それは心から安心し自分自身を子に委ねているからだと,私は思うのです。
我が両親もそうでしたが,亡くなってみると,彼等の言いたい放題は子に甘えていたんだな?と寧ろ懐かしみを覚えます。

どれだけ愛すべき人柄だったか、どんどん月日が経つほど懐かしくノブヨさんも思い出す事になることでしょう・・・


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