違って当然
齢50歳にもなると息子は完全に別人格
息子とは本音を言い始めると必ず喧嘩になります。
彼の半分は父親の遺伝子・・・そう思って尊重しても、息子には私の欠点ばかり目につくらしい。
別々に暮らしていて丁度良いのかもしれません。
考えてみれば、私も親と必ずしも仲良しとは言い難かったので、同じ病気なんだから子の悩みを分ってあげないといけないのだろう・・・
齢50歳にもなると息子は完全に別人格
息子とは本音を言い始めると必ず喧嘩になります。
彼の半分は父親の遺伝子・・・そう思って尊重しても、息子には私の欠点ばかり目につくらしい。
別々に暮らしていて丁度良いのかもしれません。
考えてみれば、私も親と必ずしも仲良しとは言い難かったので、同じ病気なんだから子の悩みを分ってあげないといけないのだろう・・・
やっぱり家は良いね、と暫く窓の外を眺めています。
病院からはフミちゃんが車で迎えに行きました。中学の同級生の小柳君が来てくれたそうです。
息子が退院し、すぐ食べたがったのはお蕎麦でした。
3人で天蒸篭を出前していただく。
そして落ち着いたので、お風呂に入って夕飯迄昼寝
夜はフィギュアーがあるので起きてきました。
ノドグロを焼いて、美味しいけれど部屋中、煙が匂いました。
羽生君を応援する二人、フィギュアーに詳しいのです。
グランプリ・ファイナルに出場が決定し、大喜びです。
怪我があっても3百点越え、良かったと思いました。
我が家も暫く無事で、ホットした退院の1日でした。
フィギュアを応援するためにフミちゃんは早めに病院から戻ってきました。
玄関でヨナス、カウフマン公演が中止、と言うときゃ〜〜っと絶叫.本当にびっくりです。その顛末は又今度に話すとして
羽生君のファンなので、今日は釜飯で気合い、
背筋をピンと伸ばして羽生君を応援しているフミちゃん
明日も頑張ってね。何だか強敵が全然出ていないNHK杯って羽生君にとって良いとは思えないから・・・少し不満。
明日は息子が退院するので、フミちゃんは早寝。
車を運転して迎えに行くそうです。
6年前の今日、25日、亡くなりました。
母は池之端に越した日に「まるで雲の上で寝ているみたい」
と大層喜んでいました。
父の家を相続した私は父の遺言どうり母を護って暮らしていましたが、元々足が悪いのに3階建てという家を独りで掃除して頑張っていましたが、2007年2009年と立て続けに骨折、ついに車椅子生活。父の生前の言葉を護り、順天堂じゃ無く、裏のGCに売る交渉が成功し移ってきた池之端なのでした。
車椅子で胃がんの母を介護するにはバリア−フリーのマンションへ移るしか方法は無かったのです。高層というのはとても心配でしたが母の口から私への感謝の言葉ばかり並びました。
大喜びでハシャイで、あっけなく3週目で眠るように亡くなりました。
死に顔はとても穏やか、まるでマリア様みたい!とは身びいきに過ぎますが、ア、美代ちゃんは幸せに逝ったのだな、と誰もが思う大往生でした。
長い看病の親娘間の葛藤さえ影も無い穏やかさが私への最期の贈り物のように思えたくらいです.92歳、後1ヶ月半で93歳になる所でした。
生きていたら99歳。
桜を見せて上げられなかったのが唯一の心残でした。
私も母に肖って穏やかに微笑むように逝きたいものです。
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