二日続いて歌舞伎・海老蔵一家
昨日の高麗屋に続き、成田屋の海老蔵さんと子供達、真央さんの死後、残された家族のその後でした。子供達が健気です。
大昔、まだ日本天然色映画というプロダクションがあった頃、今の白鴎さんが染五郎だった頃に日産自動車のCMに出られ、衣装を担当しました。
スタイリスト、成り立てでした。
英国調のツイードのブレザーを用意し、ご自宅へ衣装合わせに伺いました。
丁度、赤ちゃんが産まれたばかり?或は1歳くらい、今回幸四郎を襲名なさった方の赤ちゃん時代を目撃したことになります。
赤ちゃんなのに、もう歌舞伎役者になる為に産まれたようなお顔なのでビックリした記憶があります。
その染五郎さんのお子さんが今回、金太郎から8代目染五郎を襲名です。祖父、父と3代の襲名は今回で1981年以来、2度目、何ともお目出度いことですが、まだ12歳の染五郎さんが実に美しい、大物になりそうな、お父上、お爺さまと同じに歌舞伎役者と」なる為に生まれ落ちたような、既に風格まであります。将来が楽しみであります。血筋って凄い。
日本での引っ越しならば、助けられる事が一杯ありますがパリでの奮戦する二人、もっとも20年も前、パリで暮らしを確立してきた二人です。
偉いな〜〜と思いながら普通のご飯です。
メカジキの照り焼き、小松菜のお浸し、モズクに昨日の豚汁でした。
『食べさせたいな〜〜」と思いながら。
フミちゃんはパリへ越した当時、納豆まで手づくりで家計を支えてくれていました。
今でも石鹸から歯磨きまで手作りです。真似出来ません。
此の写真が大好きです。
足の不自由な息子に嫁いでくれて20年近く、いつも笑顔です。
「無理していない?」と私が聞いても、『全然、毎日楽しいです」と答えてくれます。
息子が4年くらい前、フランスで家を買いたいと言って来た時,私は反対したのです。
「ずっと永住するの?」「いやそのつもりは無いよ、でも投資になる」
どうしてもそうは思えなかった私は反対しました。
息子一人の能力では無理だからです。
フミちゃんは
『家は要りません」
小さすぎるワンルーム、狭過ぎるキッチンを自力で可愛くリホームして暮らしてくれていました。
応援の仕様が無い東京のお姑さんの私です、日本からパリに戻る時、こっそりお小遣いを握らせるだけしかできません。
息子は直ぐ、家を諦め、公共住宅のバリアフリーにダメもとで応募したそうです。
4年目の去年の暮れに遂に15区の安全地域に当選しました。
今頃、引っ越し準備で忙しいフミちゃんでしょう。
パリでは手助けも出来ません。
ルーブルの仕事をした20年前のように、私はひたすら念を送って無事な引っ越しを祈っています。懐の広いフランス社会に感謝しながら・・・
『運を使い切るのは嫌なので、宝くじも嫌いなんです、日々の平凡な恵みだけを感謝しながら・・・行きます」そう常日頃、言っていたお嫁さんです。
本当に幸せ者なのは息子ですね。彼女の笑顔は、我が家の青い鳥そのものです。
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