2019/6/3 月曜日

レントゲンの結果

Filed under: 腰痛日記 タグ: — Patra ICHIDA @ 20:00:35

此の美しい深緑の景色も見れぬまま終わりそうです。なんと圧迫骨折になってました。

月曜日、急に整形外科の先生が見えることになって、先日のポータブルレントゲンの結果が出ました。
ヒビどころか腰椎の2と5が圧迫骨折だったそうです。
やっぱり、、、、

車椅子にも乗ってはいけない、安静にするしかないです、との事でした。
自分の懸念したようにベッドから落ちた時、重い車椅子の前輪に圧迫され、急に足が痺れたので骨だろうと思ったとうりでした、年齢的にも脆い骨だと言う事ですね。
しかしこのレントゲンが自宅でできるのに、診療の遅れはどう考えても全てが超スローな新人ケアマネにも、他業種のサービスや情報に疎い家庭医の問題でもあります。
犠牲になって3ヶ月も4ヶ月も苦痛を強いられる患者、私の様に筋肉の病気がある人間には最悪な展開でした。
半年かかるかも知れません。元兇の看護師を本当に訴えたい気持ちにもなります。
腰痛の恐ろしさは車椅子の人間には、乗り移りしていては決して治らない、絶対に注意が必要だ!!と言う事です

しかし此の失敗から介護保険医療の自宅療養制度が少しでも進展してくれれば、そう強く願います。

集金に見えた病院のコーディネーターの方に確認したところ2の腰椎は古いものだそうで、もう固まっているとのことでした。自覚はないので昔の骨折時の傷かもしれません。少しホッとしましたw


2019/6/2 日曜日

寝たきりでは何もできない

Filed under: 腰痛日記 タグ: — Patra ICHIDA @ 20:18:29

自分で一番好きな絵をもう一度眺めながら
モデルのココ猫が可愛い。あぁ、此の頃は幸せだった。
パソコンの充電用、コードが見つからず、すぐにバッテリーが消耗してしまうので
ま、思考、瞑想の日々ですが、この損失、時間のロスは大きいです。
後、13年ほどで齢90とは驚きすぎて言葉が無いです。
「若い、若い」と煽てられて調子に乗っていたら、終わりの対岸が目の前ですものねw。


2019/5/30 木曜日

息子へ、夫と黒澤明監督のエピソード

Filed under: 人物 タグ: , , , — Patra ICHIDA @ 19:25:25

この春以来、寝たきりの私に息子が毎日電話をくれるので色々な話をしていたら、あ、まだ話していない彼の父親の傑作な話があったな〜と思いついて遺しておこうと決めました。
別れる前の夫、市田喜一さんは東宝撮影所の敷地内に掘っ建て小屋を借り仲間5人と美術の会社を作っていました。
社名のサンクアールは私がネーミングしたのです。
映画やコマーシャルに使う小道具から大物、木工彫刻や樹脂、軽いカポックなどを本物そっくりに作る毎日です。
汚れる仕事ですねw
木の欄間を掘っている時、通りかかったおじさんが、やおら一緒に彫り始めたのを「ダメダメ、そんな彫り方」と叱ったら、それが黒澤明監督だったというエピソードは息子も父親の死のブログにも書いたとうり傑作な笑い話です。

ある夕方、撮影所から戻ってきた市田さん。
「いや〜今日は参った」と苦笑いです。
何があったのか聞くと、何時ものように汗だくで仕事場にいると、黒澤組から呼ばれたのだそうで、指定のスタジオに入るといきなり台本を渡されカメラテストだったそうです。
「え〜〜!?」聞いてる私もビックリです。
「一体何の?」「で、どうだったの?」と矢継ぎ早の質問に可笑しくてたまらない風に笑いながら、
「ダメに決まってるさ、台本の字が読めなかったし」

その話は黒澤監督の思い付きらしく、
「あの作業場の若いのを呼ぼう」
と急にお声がかかったのだそうです。
汗だらけ、顔も洗わずカメラの前に立たされキョトンとしている市田さん、想像しただけで可笑しくて二人で笑い転げました。
黒澤監督としては珍しい現代物の新作『天国と地獄』の犯人役のオーディションだったそうです。勿論落選でしたw

映画が完成した時、興味津々二人で映画館に行きました。
大画面に映る犯人役は当時新人だった山崎努さん、デビューの新鮮なお顔でした。
せっかく黒澤監督がチャンスをくださったのですが、
「これは落ちて良かったね」と笑いながら映画館を後にしたのでした。


2019/5/29 水曜日

みだれ髪

Filed under: 人物 タグ: — Patra ICHIDA @ 10:49:30


ある5月の風の強い夜中、どこからとも無く聞こえてきたのがこの歌でした。
3階の私の部屋の灯りだけが煌々と光る夜中です。
途切れ途切れに聞こえる歌声でした、
翌日、当時のアシスト君に「ね、ひばりさんて順天堂に入院してる?」と尋ねると、
「ご存知なかったのですか?下にTBSの中継車、いつも止まっているでしょう?」と教えてくれました。
当時、これ以上勉強した事は無いというくらい易経の勉強を夜中じゅうしていた私でした。
ひばりさんのお部屋と思える2階の角部屋から道を隔て向き合う私の角部屋の3階の灯りが見えたのでしょうか?幻かと思う歌声でした。
このキーの高い歌声は、ひばりさん?定かではありませんでしたが。
それっきり2度と聞こえて来ませんでした。
しばらくして訃報を知りました。
生年月日を調べて見ると、ひばりさんの納音は私と同じ沙中土、苦労の多い星のしかも孤独の比肩でした。
納音は同じでも私は母性の印綬です。

30年前の出来事です。

歌声はひばりさんだったのだ、そう今では信じてます。
何故なら、不幸なうっかりで腰の尾てい骨にヒビが入り寝たきりが2ヶ月も続いています。
苦しい時間、この歌を唄いながら退屈をしのぎ、自らを励ましているからです。
歌など日頃、全く歌わない私が電話口で歌うのを聞き、「よく覚えたね」と息子が笑う。

覚えるならこの歌、と決めて居たのです。

ひばりさんは6月24日に亡くなっています。


2019/5/27 月曜日

菊池武夫先輩の80歳のお祝い♬

Filed under: 友人 タグ: — Patra ICHIDA @ 10:44:29

ファッション界のスーパスターだけあって、見事な盛り上がりに、菊池先輩のご挨拶も素敵でしたので
記念にシェアします。
皆さんの感激と興奮ぶり、最近の私の周りのsnsで観てい流だけでハッピーなニュースでした。
先輩の著書「菊池武夫の本」は2012年発売なので、新品はすごいプレミアムな値段がついていて、流石でした。
1日に届くかな、楽しみ。
と思っていたら届きました。デザインの美しさに衝撃を受けました。
ページを指で捲る部分をイメージの「青」で丁寧に染めてあります。こんな美しい本は見た事がありません。
大事な宝物の本になります。


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