金曜日の食事作り
お風呂の後、Sちゃんが来るまでの1時間に食事の用意をすることになって、綺麗な食器で食べられる喜びが大きいです。
跡かたずけまで出来ないのが申し訳ないけれど、だいぶ進歩には違いありません。
家事をすると、無理に腕を伸ばしたり、体をかがめたりするのも運動ですが、やぱり疲れます。
けれどドンドンやっていくつもりです、用心しながらですが・・・
お風呂の後、Sちゃんが来るまでの1時間に食事の用意をすることになって、綺麗な食器で食べられる喜びが大きいです。
跡かたずけまで出来ないのが申し訳ないけれど、だいぶ進歩には違いありません。
家事をすると、無理に腕を伸ばしたり、体をかがめたりするのも運動ですが、やぱり疲れます。
けれどドンドンやっていくつもりです、用心しながらですが・・・
せっかく先生が工夫して手作りしてくださった短いスライドボードがあるべき場所になくて、往生した木曜日でした。
結局、夜のヘルパーさんが見つけてくださったので良かったが翌朝、病院へ連絡し、先生に伝言を伝えました。
「また、作るから」と言ってくださっていたので、急いだのです。
この短いボードじゃなければ自分で抜けない、自分でお尻の下に差し込めない。今度こそ、と車椅子の後ろに藤井風君から届いたオマケの袋に入れてしっかり確保しました。
私も先生も「探し物苦手」という共通点発見でしたw え?こんな下にどうやって?というような重なった荷物の一番下にあったそうです。 二人で探したのにな〜の盲点にw
2010年の7月の8日真夜中の3時に息を引き取った。知らせが届いたのは8日の朝、9時過ぎだった。大腸癌から肺、ついには脳へ転移し、2年半の闘病で逝ってしまった。
元気で綺麗で、とても長生きしそうだったのに、あっけなく人生の幕を69歳で閉じてしまったのです。
何故か妹の私を良く目の敵?というように叱るひとだったw一番よく言われた言葉は「妹の癖に生意気」しかし、思い当たることがない。姉を立てていた私であるから「何で?」といつも疑問に思っていたw
亡くなってから10年が過ぎて生意気な妹はまだ生きている。面目ないと恐縮しないといけないな〜
生意気な原因で思い当たる事二つ、姉より背が高かったw 姉よりお金を稼ぐのに長けていた。そうか!これは重要なマイナス点だったな〜と今頃思う。猫に託してちょこっと書いておいた。
最近、今までの金曜日だけの入浴から、看護師さんの提案で月曜も入浴できます。その内水曜日もできそうです。
水曜もできるようになったら体力が戻って来たという事になりますね。
入浴椅子が自走で安定した車椅子なので、出たあともそのまま部屋に行って、夜のヘルパーさんが来るまでの時間、ご飯の用意もできるだけしておきます。食卓で窓を見ながらの食事は、本当に幸せな瞬間なのです。
ほんのちょっとしか出来ませんが確実に進歩しています。
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