旧制水戸高時代の英語
父の残した二竿の洋服ダンスを解体してもらい、沢山の和服と背広を数点のみ残し処分をした。何だか数度しか着用してない物もあったがほとんどが似た色ばかり,結局長い人生に於いて彼の選ぶ色は濃いグレイ系ばかりが目立つ。重いし型は古いしで全部処分。
書きかけの英語の原稿も思い切って捨てた。生前、もう捨ててもいいぞ!と言われていた民俗学や気象の資料など、躊躇していた本と一緒に本棚ごときれいさっぱり・・・「死んだら・・万事終わり」
但しこの1931年・・という父が19才?頃の英語で綴った日記は大事にしようとおもう。きれいな文字に几帳面だった性格を忍びながら,文面はたわいもない蒼き青年の日常だが,帝国大学を一浪したあたりまで英語で熱心に書き綴ってあった。
大学に入ってからは遊んだみたい・・・どうりで勉強しろ!とは言われなかったな。
何とも、素敵なお父様だったのですねぇ・・・。
うちの父は、まじめだけが取り柄の、無学ではあるけれども世知に長けた、物知りの、愉快な人です。
時々、かんしゃくを起こしましたが、今は年老いて、かんしゃく玉を破裂させるだけのパワーもないようですが。
といいつつ、私自身は、あまり父の性格を受け継いでいないような気がします。
コメント by 酔仙亭 — 2007/10/5 金曜日 @ 12:42:31
うわ〜、また、二重投稿になってしまいました。
ごめんなさい。
コメント by 酔仙亭 — 2007/10/5 金曜日 @ 12:42:56
こちらこそ、失礼してます。
ここ、コメント表示が遅いので二重投稿になってしまうようですね。
良い時代に学生だったのではないでしょうか?
宿敵の一高に水高がサッカーで勝って日本一に成ったときは余程嬉しかったのかかなり興奮してましたよ。
大学時代はルディ・バレィのセントルイス・ブルースに嵌って、日記に英文の歌詞を書いて覚えていたようで、お風呂で良く歌ってました(笑)
酔仙亭さまのお父上と大ちがい、全く世知に疎い、ある意味の変人、同じく癇癪玉の大きいのを時々破裂させてました。
昔は青春など無いのか?と思いきや松竹歌劇団を観に行ったり、結構ミ−ハー青年だったようです。
物知りで愉快、それこそ最高なお父上のお姿ですよ。
酔仙亭さまは母上似でしょうか?
コメント by patra — 2007/10/5 金曜日 @ 21:20:06