2004/7/26 月曜日

残酷な側面

Filed under: 日々雑感 — patra @ 20:29:13

昨日、観た中国の秦の始皇帝を題材にした映画「ヒ−ロー」は衣装の美しさが飛び抜けていた。

黒沢明監督の「乱」でアカデミー衣装ザイン賞を受賞した日本の誇る和田エミさんの仕事である。

2年以上の歳月をかけて取り組まれたであろう力作は優美さと洗練に満ち、機織りから用意したのではないか?と思わせる布の量感の美しさは、布の重さ、性質、動きを熟知したデザインだ。
どの場面も息を飲む美しさと色・・・こんな作品は生涯にそう出会えるものではない。
和田エミさんも渾身で打ち込まれたにちがいない。

陳藝謀監督のメーキングを観ていたら、楽し気な和田さんがスタッフとして写っている。
敬虔な仏教徒、ジェット・リーに彼手製の数珠を頂いて満面の笑みをもらす満足気なお顔も輝いていた・・手相もご覧になるらしい。
 
構想3年、撮影6ヶ月有余、映画を1本作り上げるまでに係る気の遠くなるような時間に目眩を感じる、
完成へと、纏めあげるまでにスタッフに強いられる沢山の犠牲も数え上げればきりがないだろう。

監督の言葉は静かで強い。
「人々の協力なしには何一つ出来ない、画面に写る役者はもちろん、それ以外の沢山のスタッフに支えられている、」
初めて陳藝謀監督に指導された時はチャンツィイーは演劇学校の生徒だった。
今では人気一番の若手女優だが「初恋の来た道」でドアを開けて飛び込んでくる表情がどうしても出来なくて不貞腐れていたら、
監督は怒りもせずに側に来て、静かにこう話したそうだ・・・

「君達役者は画面に写る映画のほんの一部の人間にすぎない、もし君が投げやりな気持ちになってしまったら、
見えないところで一生懸命支えている他の人達はどう思うだろうか・・・」
それを聞いてチャンツィイーは号泣してしまったそうだ。
「それからは全ての人々、一緒に映画を作るスタッフに感謝の気持ちをわすれません」と。

偉大な仕事を成し遂げる時、人は往々にして家族や友人、一番みじかな人間を犠牲にしがちだ。
夫や息子が仕事に邁進できるのもそうした家族が銃後の支えになって居ればこそだ。
こんな普通の犠牲が、役者はもちろん、スタッフ、技術、照明、美術、結髪、小道具宣伝、進行、エキストラ等
紙面に載せられない数の映画人にもドラマとしてあるはずだ。
当たり前の努力によって良い仕事は一層輝きを増す。
日常生活だって同じことが言える。
虚しさなどはどんなに小さいポジションにも無いはずなのだ。たとえ淋しく留守番の日々であっても・・・
 
栄光の輝く笑顔は君のお陰なのだ・・・と胸を張って欲しかった人は他にも居た。エミさんの夫だ。
それにしても男というのは何とも哀しい、弱い生き物なのかもしれない。この「ヒーロー」の撮影時期に、
和田勉元NHKディレクターが不祥事を起こした。
仕事に命を賭ける女達を支えるのは立派な男だからこそできるのである。
和田勉はその数少ない夫役が出来る人間で居て欲しかった。
魔が差す、と言う事は不安定な情緒にこそ忍び寄る。
人生の最大の落とし穴は心中の敵。己に勝・・・と言う事の難しさを改めて思い知った。
人間晩節をこそ重んじよ、である。


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