2010/5/2 日曜日

才能を秘めていた娘

Filed under: ネコ,友人,時代 — patra @ 21:29:39

俗に「あいつは化けたね」という言い方をします。今まで眠っていた本能が才能となって目覚めた時、褒め言葉として男が使う表現ですが驚きと意外な思いと羨望も少し滲んでいます。私の青目が正にそうでした。私が知っていた頃の彼女は若いのに老成した感じではあったけど、あまり物事に敏捷に反応する娘ではなかったような、側に居ても気にならない子、と覚えていましたから油断してた。トンでも無かった。しっかりと胸の内に溜め込んでは観察眼を養っていたのでしょうか?

彼女のブログの表現は並みじゃない。つまり猫のイラストを上手につかいながら青目流に伸び伸びと語る我々家族の姿に舌を巻きました。
彼女が物書き、脚本を書いていた時期も全く知らないまま、長い空白の年月の末の再会です。何も彼女の事を知っていなかった。

飄然と目の前に現れた青目は昔の侭で見た目全く変わってない、でも確実に才能は化けたのです。
実に見事な表現者として・・・私の前に大人な存在として現れました。すばらしい事です。

パリで一足先に再開した息子に話してくれた私と青目の出会いも衝撃でした。
昔の亭主殿が連れてきた若者の一人と思い込んでいたのは間違いで、実は私が天井桟敷に電話を入れ、その電話を受けたのが入団したての新入りの青目だったそうです。
「前売りチケットを買うので凮月堂で受け取りたい」と図々しい私。
凮月堂も良く知らなかった青目がズオズスと待ち合わせの場に向かったそうで、それが初対面だったとは。全く覚えていません。

又有る時は、センチメンタルに襲われた青目が私の所に電話してきたそうです。すると私が遊びにおいでと言ってくれて、「でも、電車がもう無い」とつぶやく青目にタクシーでお出でと言ったそうです。嘘?
経堂の家の前までタクシーを乗り付けると電柱の下の夜道に私がお金を手に握って立っていた姿を思い出すと。
全く覚えていません。息子からその若き日の自分のエピソードを聞いた時も「それは青目の創作でしょ?」と思ったくらい何も覚えていません。
て、言うか私が良くそのお金を工面できたもんだ!?と当時を振り返っても不思議な事でした・・・紛れも無い貧乏だったから渋谷から経堂までのタクシー代は大変だったろうに(笑)。あの時代、ほんとに良く入れ替わり立ち替わる若者にご飯を食べさせては居たけど・・・(私だって25、6才の若妻だったのに健気だった,自分)
こうして青目があの頃3才から5才くらいの息子を記憶してくれて愛してくれて、歓待してくれているんだから!!ビバ人生。
しかし人には親切にしておくものだ。


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