2019/3/22 金曜日

血脈について

Filed under: 家族 タグ: — patra @ 22:31:13


息子はとても冷静、沈着な男で、色々な不運も乗り越え気がついたら立派な中年男になっていました。
去年の11月に帰国した時には、髪の毛が白くなっていて驚きました。染めるのやめたんですってw
幼少の時は、ツヤツヤなストレートヘアだったのに、事故や病気で2・3回程、輸血をしたら、チリチリな毛髪になってしまい、一向に治らない。もっとも父親の髪に似てきた噂もw
私は彼を生む時、自分の病気が遺伝しないか、とても心配で、医者に調べてもらったのですが、「大丈夫」との返事でした。それでも心配で、自分の病気が筋肉の疾患なので、安全のために帝王切開を希望、しかも胎児に影響が無いようにと麻酔は表面のみ、「そんな手術は誰もやりませんよ」とあきれ顔の先生に、他を探し、日本医科大で、それこそ命がけの出産でした。
当時はまだミオパチーの種類が研究されていなく。全身麻酔で死んでしまう例もあったからです。

10年前、私の骨折入院で手術の際も用心し、脊椎麻酔でした。
予感というのか、筋肉の疾患、ミオパチーは、息子の3歳の時、東京女子医大で組織検査入院して、「遺伝」と確定したのです。
申し訳ないと思いました。本当にやりたい仕事を彼は諦めたはずです・・・。
小学生の時に交通事故にも逢い、更なる手足の障害が増えました。
それでも勇敢な息子は海外での自立を求めて、親元を離れたのは21歳の時です。

アグレッシブな性格はどこから来たのでしょう?
本当かどうかは定かでは無いのですが、江戸時代のご先祖が

「自分が死んだら花火を胴巻きに括り付けて派手に打ち上げてくれ」
と言うような人騒がせで豪胆な芝居小屋の座付作者だったらしく、因果応報というか私も息子も怪我が多い人生なのです。
十重二十重と困難が多かった我々の人生も、気がついたら77歳と54歳になって居ました。

「笑っちゃうね」「うん」
ここまで無事とは思わなかった二人です。

腰痛になった春、14日経っても一向に良くならないし、薬の効きも悪いのは。この先天性疾患のミオパチーが影響しているのかも知れません。
この分野を見る先生は殆どいない現実と治療もないからです。不治の難病として国の指定になっています。

並んで写した息子の写真を繁々と見て、なんと大らかな人相に育ってくれたことか、と胸がいっぱいになりました。宿命を逃げづに生きてきた結果の顔が出来上がっていました、これがいわゆる怪我の巧か?と冗談でも楽しくなったのです。
息子を落ち着いた男に仕立ててくれたのはお嫁さんです。
改めて感謝した日です。
イチローの弓子夫人に匹敵するほど良い奥さんなのです。幸せ者な息子です。


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