曇りの窓辺、多肉植物
窓際にベッドを置くとちょうど蓮池を見下ろせ、ロールカーテンの上げ下げは電動のリモコンでやりました。
「ここが私の部屋?うれしい、ありがとう、ありがとう〜、あの白い建物は精養軒よ、あそこで結婚式したのよ、お父さんに見せたかった! あ、小学校の先生は寛永寺のお墓なのよ〜嬉しい、わ〜貴女って、ぱとらさんて凄い〜」とそれは興奮して喜んだのでした。
引っ越しで仕方無く夏の終わり、病院へ入れたらボロボロにされ、「あそこは病人製造所」と母は言ってました。「悪人よ、あの先生は」とも・・・母は92でも頭はボケていなかったのです。
歩けていた母は入院ですっかり本物の病人になって戻ってきました。
ここで大はしゃぎし喜んで3週間で眠るように亡くなりました。
安心のお顔は綺麗だったのがせめてもの親孝行でした。毎朝と寝る前に蒸しタオルで綺麗にし、乳液でお手入れしただけで見違えるようになったのです。
病院で一体何があったのでしょう・・・病院に入れれば安心なんて無いのでした。
短い間でも母にここの空気感を味わってもらった事が慰めでした。