2009/6/27 土曜日

知識と智恵

Filed under: 日々雑感 — patra @ 0:56:01

此の頃口癖になっている言葉を使うと人は大概あきれ顔で「自分で言ってどうなのよ!」と笑う。その口癖は「私って頭が良いから・・・困っちゃう」です。そんな事を自ら言うのは相当にうぬぼれているか、図々しい人と見られるのですが、ここで私が言う頭が良いから!の意味は勉強の出来る知識での頭の良さではないのですよ。知識は理解力、記憶力、判断力、推理力など訓練しだいで誰でも上達することができます。知識の学問について安岡先生はこう教えてくださっています。↓

【知恵の学問】

知識の学問と知恵の学問では非常に違うのであって、
知識の学問は、われわれの理解力・記憶力・判断力・推理力など、
つまり悟性(ごせい)の働きによって誰にもひと通りできるものだ。
子供でもできる、大人でもできる、善人もできる、悪人もできる。

程度の差こそあれ、誰でもできる。
その意味では、機械的な能力である。

しかしそういうものではなく、
もっと経験を積み、思索反省を重ねて、
われわれの性命や、人間としての体験の中からにじみ出てくる
もっと直観的な人格的な学問を知恵の学問と言う。抜粋。」

私が口癖で、ついつい口走ってしまう「頭が良いから!」の良い意味はこの創意工夫の智恵の事。ついおふざけで言うようになったら怪訝な顔をされたり鼻で笑われてしまうから「あれ?」とヨクヨク考えたら一般論の頭良いは勉強の知識の事で私の使う意味は,智恵・・・糸口を見つけたり,困難を打破したり、創痍工夫の閃きの事だった。勉強の知識とは全然ちがう様々な困難や苦悩から発想する活学の事です。

知識がある!と言いたいならば私は多分こう言ってるはずです。「私、勉強できるから・・・」

勉強はしなかったので
「きっと智恵はあると思うのです」・・・と謙虚に言い換える事にしました。(笑)考えてみたらどちらも人の感じる所であって,冗談といえ自分でj公言することでは無い。智恵はあっても知性的にはほど遠い,というお粗末でした。


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