決断しました。
じっくり考えた事とパリに居る息子たちの意見が同じ、人間はいずれ何時か死を迎える運命なのであればその迎え方が大事。
一日でも長く生きてもらう為の努力は勿論大切、でもその事が胃の全摘手術で最晩年の老母に辛い思いをさせるのは不本意な事です。第一母本人は手術を全く望んでいません。私の決断は今、痛くも痒くも無い何の不自由も感じていない母の胃を切る事で不安材料を消す事では無く、どうだろう?人生の最後の最後まで喜びに満ちた暮らしのなかで病気とも仲良く共存し、こうして食べられる喜びと共に今を生きる勇気ってのを見せる人生の方が幸せなんじゃないか!?・・・を再確認しながら暮らしてみない?でした。諸手をあげて喜ぶ母は「うれしい、私は今までも充分幸せだったから、それでさいごまで生きてみます!」
孫の優しい、でも的確なアドバイスがあったお陰で勇気百倍の母に彼女の好きな鰻重をご馳走し、何があっても神の御心に委ねる勇気について確認しあいました。
戦後の食料難の時代、自分は我慢しつつ幼い我々姉妹に何もかも分け与えてくれた母が、晩年多少、食いしん坊になったとして閻魔さまだってお咎めできるものではありません。あまりに嬉しそうに喜ぶ母にほんの少し慈愛の何たるか?が私にも会得出来た瞬間でした。