2009/10/21 水曜日

南ポルトガルの笑う犬

Filed under: 友人,感想,料理 — patra @ 22:39:48

CIMG4605CIMG460740年の空白を埋めるのは一冊の本で充分でした。昔の友人の著書を早速取り寄せ、午後から一気に読みました。今までネットフレンドの本を何冊か応援のために読みましたが、贔屓だけでなく実に面白かった。夫の赴任先、南ポルトガルのアルガルヴェ地方の港町に住みついた彼女は,「若い頃憧れたパリやローマと全く違う世界にがっかりし怒りもし悲しんだが、ここで幸せにならなければならない、と決心し、どんな小さい幸せも見逃すまいと目を凝らしていきて来たような気がする」と書いている。友達をみつけるため町をさまよい歩く路傍の主婦は.沢山の犬と顔見知りになり、< どもども奥さんと声をかけられることが・・・そんなときの彼らの顔は必ず,笑い顔なのである。>と
表題の由来が明かされる。「そしていま,町の犬で私を知らないものはない」
滞在14年にして、いまは沢山の外国人から遂には排他的なポルトガル人の友達まで多くの友情に支えられ日本人として胸を張って暮らす姿は感動です・・・。胸が詰まるような大人の女の友情の示し方、様々な国の男と女達のエピソードどれもが輝く陽の光のように詰め込まれている,素敵なエッセイです。

惜しむらくは本の表紙があまりにも地味・・・これは店頭ではほとんど目立たないだろう。手に取って2、3行読んで頂けば引き込まれること請け合いだけど。ぜひ手に取って読んで欲しい。中の写真はブログの方が楽しいけれどエッセイには久々に大人の女の愛や孤独が、ユーモアとともにどの章からもこぼれ落ちてきます。4切れの蒲鉾事件など同じ思いを経験してるので膝を叩いて共感したのでした。ぜひ買ってください。「南ポルトガルの笑う犬―アルファローバの木の下で
」宣伝ですが.裏切りません。女性にプレゼントしたら喜ばれますよ。


同じもの

Filed under: 日々雑感 — patra @ 1:48:20

CIMG4603今日の夕食は昨日とほぼ同じ。なぜなら夕方お鍋に火を入れ直していたら「うわ、良い匂い、牛蒡ですか?」と目敏くヘルパーさんが声かけて来て,お風呂からあがった母も「鶏手羽と牛蒡、これ大好き」と。ならば美味しい内に又出しちゃおう、と単純動機。少なく作っても微妙に余るし,煮物はあまり少なくとも美味しくできないし。2日目は味がしみて更に美味しいからね。何てリニューアルする手練も体力も、もう出涸らしなのでそのまんま・・・が事実です。身内は私のポルトガル好きをしってるし、しかも最初に取ったと思ったtwitterのネームpatraは何故かポルトガル人ばかりフォローされてたし、鰯のポルトガル風なんて載せてたのも、ポルトガルの旧友を呼び込む「気」だったのかも。

「気」といえば木のことを何時も思う。大木は動かないでしょ?風に梢が揺れるとしてもね、動かない木から「気」を一番感じる私です。トノバンの打ち勝てなかった鬱病について考える時、木の5衰の事と重ねてみました。どんな常緑樹でも古い葉っぱを人しれず落としているんですよ。動け無いなりに再生努力してる木は冬には枯れちゃって丸裸、見る影もないけど、それでも季節ごとに蘇る。生涯忍耐を強いられてる私は「木」の与えられた環境を文句も言わず、逃げ出しもせず、飽きもせず,葉を落としては蘇る様がなにより好き・・・ただ立って,生きて、存在してるだけ・・・それでも「気」充実だ。そう知ってたら「なんだ簡単」「なんだ単純」と驚くだろう。人生って複雑に考えたら負ける。


2009/10/20 火曜日

打てば響く・・・

Filed under: ネコ,家族,日々雑感 — patra @ 20:38:31

CIMG4586時空を超えた出会いも楽しかったけれど、息子が書き込んだ青目へのメッセージとそれに答える青目のセンス!素晴らし過ぎて笑いが止まらなかった。こんなセンスで切り返してくる大人の女を息子は僅か3才5才にして、しっかり友達にしていたような・・・。
Michiyoさんからも、奇麗なアカペラをご紹介いただいてしばし耳を癒しました。母を皆さんが思い遣ってくださるなんてありがたい。


鶏牛蒡

Filed under: 家族,料理,日々雑感 — patra @ 0:27:34

CIMG4597CIMG4598昨日のサプライズメールに続き久しぶりの友人からも「偶然ね,私もまさかpatraさんのお知り合いとは思わず良く
青目さん
のブログを読んでいたのよ、」とメールを頂き、安田仏師からも車椅子を押しますからぜひ展覧会を見にきてください!続いて「怪我の功名でしたね」と酔仙亭さんからも嬉しいメールが届き、久しぶりにお返事書きで大忙しでした。午後一で不動産屋さんが鍵を預かる為に来てくれたので「入りますように」と祈りながらお渡しする。前の女社長さんはネットを為さらないので色々ご迷惑をおかけしたので今回は会社を変えました。不景気に強い、広くて安い我が家作が2軒も空いてしまって心許ない此の頃です。ご飯は圧力鍋でアっと言う間に出来る鶏と牛蒡、我が家の定番。何という事もない献立を並べながら息子が「アオメ、アオメと言いながら懐いていた話等を母とする。「青目が半年も24時間、介護し母上を看取ったらしい」と話すと「貴女は38年間、私の世話してるわよね〜申し訳無さ過ぎ」と言ってしょんぼりしてみせてから次の瞬間「さて、水戸黄門を見るから上に行くわね」と満面の笑顔でヨッコラショと・・・マイペースぶりを発揮なのでした。ヤレヤレ。


2009/10/19 月曜日

ポルトガル、路傍の主婦

Filed under: 人物,友人,時代 — patra @ 17:55:07

私には大昔、妹分のような青目と弟分のようなケバちゃんという若い友人が居て、ゴチャゴチャとした、勢いだけが溢れていた60年代の貧しいけれど愉快な青春を共有していた時期がある。その頃の友達はある時期から一斉にして私の目の前から消えた。不思議でも何でもない、彼等の殆どが亭主殿の連れてきた若者だったから、我々が別れた瞬間から没交渉となったのだ。もう四十数年も前の人々のそれが思い遣りだったとおもう。思い出す事もなかった。
今朝、[mail to patra] がまた届いていた。うかつな事に私はこれを先週までスパムと勘違いしポイポイと捨てていた。よく書き込んでくださっていた酔仙亭さんが職場を変わるらしいのでコメントを入れご挨拶をしたら、「以前、patraさんにメールフォームから出したメールを読まれたかな?」との返信があった。自分の間違いに気がついたのです。見慣れないアドレスは兎に角過敏になっていたのですが、なにより老化でもありますね。

話は戻り、今朝の[mail to patra]を開いて驚いたのなんの・・・あの時代の二人が、後に結婚し幸せにポルトガルで暮らしているよ!と言うお知らせでした。私が知っていた青目 海(あおめ うみ)は寺山修司さんの天井桟敷に居て、切符を売りにきたのが出会いでした。その後も色々あって、でも何処となく掴み所のない正体不明の女の子でしたが人間的センスは私より遥かに度胸の据わった子で、60年代を代表するような新宿、風月堂に屯する女の子、あちこち泊まり歩き自由自在に生きていた。その逞しさににも子育て中の私は舌を巻いていました。

何を言いたいか!というと私がボンヤリ暮らしている間に、彼女曰く世界的?漁師になった夫、ケバちゃんと今ポルトガルの漁師町から素敵な本を沢山出している脚本家になっていた!と言うお知らせでした。彼女のメールに依れば、当時、私を憧れていたと書いてくださってますが、かたじけない。とんでもなく大物に育っていたというサプライズだったのでした。おほっ、絵も写真ももちろん文章も、今度は私が教えをうけたいくらい・・・素晴らしい人気ブログです。ほら時刻みもこうして若かった友人を本物に育てて返してくださった。

我々夫婦の失敗を、ごく身近で見ていた彼等は、きっと何かを学んだのかもしれません。
彼女はこう結んでいます。「彼は優しく勇気があり、よく働く男でありました。おかげで私はあのころとあまり変わらず元気に遊ぶ主婦となりました。」
こんな冥利を言える主婦はポルトガルにもきっと居ませんね。
本を是非、買って読んで欲しいです。「南ポルトガルの笑う犬―アルファローバの木の下で」
ブログにも微かな媚薬がひそませてあります。ぜひ!


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