2010/2/11 木曜日

結婚記念日とお別れ会

Filed under: 家族,料理,日々雑感 — patra @ 22:30:58

CIMG5987CIMG5976CIMG5981明日,パリへ戻る息子達とさいごの会食。老母がお昼過ぎに内線して「おまちしてます」と催促。「そのつもりですよ〜」明るい返事ににんまりと嬉しそう。
彼等の結婚式は2月14日なので記念日も兼ねて・・・
何を食べるかモメたけど結局ステーキ。
外は寒いので出前も大変そうですから(笑)とっておきの赤ワインを開けて乾杯。「色々とご迷惑やら心配をかけましたが、心機一転がんばりますので宜しく!と声を掛け合う。

引っ越しの時に重いから開けちゃおう・・・というワインも美味しかった。
お菓子屋さんがお休みだったので林檎を煮てナツメグとレモンとバターで軽いデザート。写真に写す時は未だお皿に載せわすれたけれど何時ものパプリカのマリネも。
ナメコとお豆腐の味噌汁、小女子の乾煎りでご飯。

二人が協力し、洗面所の通路のドアに錘を下げて自動ドア?自然に閉まるようにしてくれました。
ろれは小学生の時もしてくれた工夫です。ありがとう。
明日は7時半にタクシーが来ます。雪はどうかしら?
成田でお鮨を食べてから搭乗するらしい。いつも何かしらん楽しく考えて暮らして行く二人です。


ブラウニーが届く

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 1:10:39

CIMG5962CIMG5969連日の打ち合わせと諸々の仕事で疲れ切ったフミちゃんに後片ズケをさせては可哀想なので別々に食事。あと1日だというのに一緒に食卓を囲めないので上にお刺身を持たせる。
この所,お通じで苦労していた老母も今夜はスッキリしたらしくお粥さんを美味しそうに。我々二人の会話は3階の二人の健康や幸せばかりなのだが、この日はマンションの手付けを払った日でやっぱり気分が沈む。
母の病気を考えると1階2階では介護が困難なので決断したのだが、それは息子達を犠牲にするような選択だったから喜べないのだ。
母の病院の範囲、ヘルパーさんの範囲、など選択肢が非情に限られての苦渋の決定だった。

挫折感を感じる・・と息子は言うが38年間、この家を直しながら暮らしてきた私が決意したのだ。それにもうパリで腰を据え頑張るしか無い若者達には、これが良いチャンスだとおもう。背水の陣とでも言うのかな?言い訳が許されない年令だから梯子を思い切って取ってしまった感じでしょうか。

同じく若い友人からチョコレートケーキと素晴らしいニュースも飛び込む。知らない間に赤ちゃんのお母さんになっていたのです。
この時代に子育てをしてゆく若者こそ応援したい。
子を育てるという大仕事に比べれば、ただひたすら勉強,精進できる息子達が乗り越えられない壁なんか無い。ただひたすら上手に時間を使って欲しい。

四耐こそが人生の全てです。無駄な時間は無い。


2010/2/10 水曜日

豆乳塩ラーメン

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 0:30:28

CIMG5958CIMG5955無性にラーメンが食べたくなり、夕べから鶏挽肉と豚挽肉,タマネギ,人参,昆布,葱に鰹だしでスープを作って置いた。そして夜,白菜と舞茸,豆乳を入れ塩味を整える。万能ネギを刻み、塩,胡椒しただけの鶏肉をこんがりとキツネ色に焼きあげ余分な油を拭き取りスライス。
煮玉子は殻むきに失敗!
凸凹してしまったのもご愛嬌。これはTVで見たレシピのアレンジです。
恐る恐る味見,薄味だけどいけるかも。
そこへ昨日から予告しておいた息子達が「ラーメンをご馳走になれるの?」と内線があったので「丼を持って来てね」と頼む。
かわいいコロンとした器はフランスのプロヴァンスの安い黄色い陶器。なんか似合う。
失敗かも、と差し出すと「いや、さっぱりして旨いよ」とスープを一口のんで笑う息子。
フミちゃんも豆乳と白菜入りがヘルシーで良い、と気に入ってくれました。彼女が麺を茹でてくれたのです。出しを取った後の挽肉は葱を微塵に要れ入れてお味噌と唐辛子で肉味噌にし麺にからめて味の変化を試みました。
結構,手間がかかる労作でした。

夜遅く彼等のお友達がパリへ送るアーロンチェアを2脚,梱包してくれました。
ごめんね、昔なら、早速、皆にご馳走したのに、目下用心深く暮らしています。熱いものは特に一人分づつしか作れない、せまい台所の現状なんです。
椅子は箱に入れてクロネコヤマトでフランスへ旅するそうです。2個5万円なり。


2010/2/9 火曜日

命を知る

Filed under: 人物,日々雑感 タグ: , — patra @ 1:20:27

CIMG5947この前、さとなおさんが手相の ことについて書いていましたね。五味康祐さんの名前が出ていたので「あれ、随分若い時から手相に興味を持っていらしたのだな、と思いました。剣豪作家として有名だった五味康祐氏は長髪、あごひげに着物姿の作家で晩年は盛んに易や手相を看てらした。丁度私が21〜26才頃だから其の時代にさとなおさんは少年の筈ですから早熟です(笑)
でも誰でも自分の運命はどんな船に乗りどの港に向かうのか?興味があるはずですから彼は易や手相を学んだのは、実に偉い少年だったのですね。丘に着目するなんて・・・
ちなみに私はマス掛けですが、此処に来て生命力の張り、丘が萎びました。
先日も知り合いの殿方が「易はこんなことまで解るなら、恐いですね」とお仲間の女性を看たついでに看ましょうか?と水を向けたら真面目に手を振って、慌てて帰られました。

でも自分という器がどんな人間であるか、どんな弱点があるかを知らずには立命は決して出来ない物です。それにほとんどが性格という遺伝子の侭、向かってしまう中年期45才頃、真剣に自分と向き合うのは良い事であって怖がることではありません。晩年を建て直す作業に易は有効です。
手相は若い人向き、何故なら大方は恋愛運のみ興味があるからですが、ほんとうに己を知りたい人は四柱推命の現本「淵海子平」が効果的です。江戸時代に日本に入ってきた淵海子平は、その難解さに全文訳される亊無く日本人向けに「四柱推命」として広く一般的に広まりました。但し「敗財」という星を隠し比肩,劫財と同じ位置に置いてますが性質が全く違います・・・筮竹を遣い吉凶を判断する断易にも「淵海子平」を読まなければ易経を理解できないものです。
極めれば極めるほどに奥の深い易を学んで20年が経ちました。
君子(紳士)にこそ必要な考える為の羅針盤が易ですが、人の頭を叩いて言う物でもない。生きる知恵なのに、何だか昨今は「易経」が地に落ちたように感じます。
稀に霊感など特殊な予知を為さる方がいますが易は勉強なので、何度も学んで経験して得る人生の答えですので信じる信じないという定義では括れません。
下に安岡先生の言葉をお借りしました。

【知命・立命・天命 1】

実は自分を知り自力を尽くすほど
難しいことはない。
自分がどういう素質能力を
天から与えられておるか、
それを称して「命」と言う。

それを知るのが命を知る、知命である。
知ってそれを完全に発揮してゆく、
即(すなわ)ち自分を尽くすのが立命である。

命を知らねば君子でないという
『論語』の最後に書いてあることは、
いかにも厳しい正しい言葉だ。
命を立て得ずとも、
せめて命を知らねば立派な人間ではない。

 『安岡正篤 一日一言』より
  (致知出版社刊)


2010/2/8 月曜日

治るから不思議。

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 0:35:01

CIMG5939CIMG5940CIMG5944この所ゆっくりと老母とご飯が出来なかったので久々に夕飯を一緒。息子達は昨日、フミちゃんのご両親と会食だったのでお土産に頂いたシラスと野菜汁に鮪のズケ。海苔をかけて頂きました。茅ヶ崎の近所の浜のシラスも新鮮で美味しかった。
事務所をグルリと立体写真にしてもらうべくお友達が見えていたので、彼等は外食。「焼き鳥って無性に食べたくなる時があるね!」と息子達。同じくだわ!!軟骨が食べたい。
膝の怪我が完全に完治したので一人でお風呂も入れたのでバンザイ・・・とビールを飲んでいたら、戻ってきた二人に見つかった。目が笑っていた。今日は目出度いので?許してもらうとして太りたくないので止めるつもりでいます。「もう転ばないでね」と再度、念をおされてしまう。はい。


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