2011/12/13 火曜日

イチローと王監督

Filed under: 人物 タグ: — patra @ 2:31:03

DSCN2932DSCN2940DSCN2954DSCN2936DSCN2948DSCN2954DSCN2967DSCN2980DSCN2945DSCN2972DSCN2967この所ニュースが余り無いな!・・・と思っていたイチローが一昨日の王(元)監督のドキュメンタリー「走りつづける人生」に出ていました。
しばし釘付けで見入る(笑)写真,写真。
いたずらっ子のような笑顔で王さんとの数年前の感動的勝利の「WBC」での出会いを語っていました。
その時の
「これ、言ってもいいのかな〜?」という表情で周りを気にしながら笑う表情が凄く良かった。
写してみたのだが、ファンが見た事も無い無垢な少年の表情なので一応それは名誉のために封印・・・

当初,意外にもイチローは選抜選手に選ばれたくは無かったのだそうです。日本現役時代に王さんはイチローを敬遠ばかりするので監督に良い印象を持ってはなかった!ハッキリ言って嫌いだった!

そう呟いた後に見せた笑顔が急に真顔になり、それからイチローの口から出る言葉は王さんへの敬愛の言葉で埋めつくされて行く・・

「普通、あれだけの地位と経験があれば人は何かしらん(ある臭さ)付いているモノだが、王さんは全くない、真っ白な人!其の事に本当に驚いた」と思い出すように目を閉じる。

王さんもイチローの当時の自己管理能力の凄さ、皆はホテル,イチローは自宅から通っていたが全員が球場に着く頃は、もう一汗かいて練習が終っている事、協調性,リーダーシップを素晴らしかったと述懐している。
優勝した後,王監督に「君のおかげだ」と声をかかられた時は本当に嬉しかった!と語るイチロー
その表情からは出会えたことで自分の中のイメージも大きく変わったことを何度も何度も反芻するような真剣な表情に戻っていました。

何を言いたいか?というと第一印象とか好き嫌いとかは常に表面的なこと、その事だけで判断してしまうとチャンスは勿論、大事な事も見えないまま、実に損失だね、という事です。

潔癖性過ぎの自分にも思い当たる事、多しなのでここに写真と共に記録しておきます。
ますます良い顔になっていくイチロー選手。


2011/12/12 月曜日

引き続き大根

Filed under: 日々雑感 — patra @ 0:56:01

DSCN2989DSCN29861本の大根を一人暮らしだと何度も言うが持て余す。
大根飯とか大根の千六本の味噌汁に大根のキンピラ、大根と葱のサラダ胡麻油風味とか色々試して完食するわけだが・・・結構切れ端が残る。

TV三昧「王さんのドキュメンタリー」でイチローを見てからお風呂、上がって煮て置いた大根とカジキマグロで夕飯です。
王道の昆布と大根をほっこり、ジックリと一昨夜から煮て置きました。王道,旨し。

「坂の上の雲」「南極大陸」「オノ・ヨーコの情熱大陸」等続けて見たら夜中過ぎ・・・

大忙しでやっと台所を完璧に掃除終了できました。
いつも月曜のヘルパーさんが見える時は舐めたようにきれいな台所にしておきます。けじめかな?
私の出来る事はきっちりやっておこう精神が運動の代わりですけど我ながら真面目過ぎ(笑)。


2011/12/11 日曜日

赤い月

Filed under: 日々雑感 — patra @ 0:39:09

DSCN2927378942_243566599041977_100001659151431_625615_1486984878_nDSCN2924DSCN2925きれいなまん丸のお月さんが出た。
今日は皆既月食が見られる日。ボヤボヤしてるとNHKスペシャルのドラマとも重なってしまうので早めに晩酌。美味しい生牡蠣で月見酒と洒落込みます。
ドラマは相変わらず脚本が今一つどころか今二つだったが・・・役者が頑張っても伝わるテーマが希薄ではどうしようもないの典型だった。
そしてついに真っ赤な月が・・・・これが皆既月食だ!といってももう私の窓からは見えないのでユーストとFBのページから素敵な画像をいただきました。
大昔は赤い月は天変地異の異常現象と怖がられもしたのだが,皆,月を見上げて幸せそうだったので平和であった。考えれば大地震と津波があった日本から赤い月が見れた!ということは大昔の言い伝えどうり不吉だったということだ。これ以上の災害が来ないことをひたすら祈ってみた。


2011/12/10 土曜日

美しい紅葉・・・

Filed under: 日々雑感 — patra @ 17:00:58

DSCN2911DSCN2912左側の五重塔がいつもガラスが斜めで、反射して写せないのが残念です。寛永寺の鐘が響く朝夕・・・ゆっくりと時が過ぎて行きます。護るべき大地に、日本の未来に思いを馳せながらお茶しますDSCN2909


困を脱す喜び

Filed under: 日々雑感 — patra @ 1:46:47

「困」

険(けん)にしてもって説(よろこ)ぶ。
困(くる)しみてその亨(とお)るところを失わざるは、
それ唯(た)だ君子のみか。

[沢水困 たくすいこん]

【訳】
困窮の極みの険難にあっても、乗り切った後の悦びを信じて
やり通すことのできるのは、君子だけである。

しかし、どんな人でも困難から学ぼうとすれば、
苦しみが何を教えているのか会得できるものである。

これを「困学」という。

苦しんで学べないのは小人であり、
小人のままでは困窮を脱することは難しい。

『易経 一日一言』より(致知出版社刊)
敢えてここに司馬さんの言葉を記録します。日本は今まさに「困」のただ中に居るのに自覚さえしていない指導者達は、けっして君子(知者)とは呼べない。未来に展望を持てない国にした罪は無関心・・・という我々小人(無知)でもある。


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