2018/11/26 月曜日

母の好きなステーキで

Filed under: 家族,料理 — patra @ 18:49:59

90歳にして2百グラムはペロっと食べた母を忍んで、美味しかったです。


2018/11/25 日曜日

母の命日でした。

Filed under: エッセイ,家族 — patra @ 20:48:30

母は映画通で女学生の頃から洋画ばかり見てました。淑徳女学園で有名なほど、学校を早引きして映画を見に行ってしまう問題児だったそうです。彼女曰く「クーパーはハリウッドより日本で人気が出て、トップスターになったのよ」と良く言ってました。
大ファンでしたから・・・・「モロッコ(外人部隊)」でクーパーとマレーネ・デートリッヒが大ヒットし、何度も見たそうです。
そのせいか?ある時、父は母が病院に入院している時、我々のお守りで上野の映画館に連れて行ってくれた時の映画は漫画映画の後ゲーリークーパーの「外套と短剣」でした。小学生だった私には面白くなかった記憶がありますwきっと父は気になっていたのでしょうね〜
母の口癖の「モロッコ」のクーパーが・・・
昭和27年頃の外套と探検はとても地味な映画だったように記憶しています。
見終わった帰り道、何も言わなかった父でした。
今でも覚えていますが松坂屋の並びにあった映画館でした。
父と映画を見たのはその時と、40年後の「ラスト・エンペラー」を母と私の助手くん3人で観に行った2度だけでした。
あ、思い出した。3回だった。御茶ノ水に住むきっかけになった「天井桟敷の人々」を神田神保町で見た時も入れねばw
帰りにパレスホテルのバーから東京タワーを見ながら巴里の息子に思いを馳せて乾杯しました。


86歳になった五木寛之さん

Filed under: 人物 — patra @ 16:13:42


2018/11/24 土曜日

誤解を恐れず言うならば

Filed under: 友人 — patra @ 21:54:27


息子は非常に冷静な男なので、深い洞察でモノをみる。私が歯科衛生士の先生が大好き、と無邪気に騒ぐのを見て辛口コメントでした。
「君は何も考えないのだろうが。男の僕が君の年齢だったら、若い娘に熱をあげたら世間から顰蹙を買うよ」
何と??、それは男と女性の違いでしょう、びっくりして言葉も無かった。
「迷惑かけない様に」と釘を刺されました。勿論ですとも。
苦学して自立している先生の生き方がファンなのですもの。そんな心配される様な邪まなんて思いもしませんよ!。
人相見として、一眼見て、これは純粋と言う人の持つ「日貴」と言う吉星があるな?と、生年月日を伺ったら、思ったとうりだったのが嬉しいのです。
人相は何十年と見て行かないと当てられません。
ほとんど外部との接触の無い最近の私です。先生がご自分の持ち味を大切に生かし、人生をより良く生きていけます様に、と祈るだけです。
一方、息子は深い洞察はあるのですが、飛刃という、言い過ぎて人を傷つける面もあります。
私は極度の潔癖症で、これも人を傷つけます。
人は皆違う特性を持って生まれています。良い面は伸ばし、悪い面は抑える生き方が大切なのです。

どんな時でも「人間として、よりよく」としか見ていない自分の生き方に自信があります。
強いて付け加えるならば、スターに大騒ぎするのに似ていますね。
特に老女のそれは無邪気なものです。


唸る人

Filed under: 家族 — patra @ 1:13:37


母が涅槃に入って、早くも丸8年がすぎました。
木曜日まで、パリから息子夫婦が日本に戻って居て、帰ったばかりなのですが・・・
戻って直ぐにお墓参りもしてくれました。子供時代は母、つまり祖母に育ててもらった様な息子なので必ずお参りをしてくれます。
滞在中はせっせと彼等のご飯作りに励むのですが・・・その時、衝撃的事実を自分自身に発見をしたのです。
「え?何だろう、私、唸っている」
驚きでした。
もう若くは無いのはわかていましたが、移動するたび、何かを持ち上げる時、一々唸る自分に呆れました。
身体が重く、簡単には何もできない、フライパンを取るにも掛け声かける様にウンウンと声出してました。そして突然思い知ったのです。
年齢が来てやっと自覚できた事実をです。
「おばーちゃんに謝らなければ」ということを・・・

昔、何をするにもやっぱり唸っていた母を叱った自分を思い出したからです。知らなかった、何かする為に体を動かすと声が出ちゃうのは老だったのか?
まだ若く他者に優しくなかった私は何と残酷だったのだろうか・・・
「嫌がらせみたいにウンウン、唸らないでよ」とか「一々うるさいんだから」
母はその都度、済まなそうにでもキッパリと「何だろう〜声ね、自然に出ちゃうのよね〜貴方だって年取れば唸るわよ」
まさか!?、と聞く耳持たなかった私が、息子達の滞在中、しっかりと唸っていたのである。


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