2018/12/31 月曜日

父の命日に友人と飲みました。

Filed under: 友人 タグ: — patra @ 0:43:27

久しぶりに飲んだ菊正でしたが、顔も赤くならずに、きっと父が飲んだのでしょう、良かった。
健康について深く考えさせられる友人の今年春の闘病の報告から再会が始まりました。
予兆がどんな風に来るのかも伺いました。我々はそんな年代です。
復活できて良かった。そのお祝いも一緒に


2018/12/28 金曜日

岩手の友人から

Filed under: 日々雑感,未分類 — patra @ 18:37:08

名物の大根の1本漬けが届きました。これは本当に美味しいです。
いつもありがとう〜〜
来年は私は四緑木星、暦でみると真っ黒団子なので、せめて大根で気合いを入れましょう


父の祥月命日に

Filed under: 家族 タグ: , , — patra @ 0:26:33

2004年の押し迫った年の瀬、29日に父は順天堂で息を引き取った。
検査入院で2度に渡る同じ新人看護師の食事介護での誤嚥から、肺が真っ白になってしまい亡くなった。
病院を訴えるにも巨大病院で問題が多すぎ、諦めたのです。
「病院に殺される」と口癖だった父。たった入院25日ばかりでの死。ものすごく寒い日の夜中だった。
大晦日前日に大至急でお葬儀が出来たのも親戚がお寺さんばかりだったので、つつがなく済ませる事が出来ました。

この写真は父の13年会という東大建築家の同窓生の交流アルバムの編集のために、最晩年の頃に、私が写した両親です。
モノクロが良いというので、これは多分没だったかな?
息子がパリから連れ戻った大人になったココニャンが何故か写って居ますw
母の着物の袖口から襦袢がチラと出て居ます。スタイリストとしては落第な写真ですねw
普段着は父の希望です。見栄を張るのを嫌った明治男です。
写真を見た母は
「嫌だ、父さんの方が色が白い・・・失礼しちゃう」に大笑いしましたw

92歳で亡くなるまで父は綺麗でシミひとつない肌でした。
私は「殿!」と呼んで居ました。釣竿とギター、箸より重いものは持たない人でしたから・・・


2018/12/27 木曜日

ポルトガルのエボラ

Filed under: 人物 — patra @ 23:58:58


2018/12/26 水曜日

ジョージ.マイケル熱唱

Filed under: 人物 — patra @ 3:23:42


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