ねこ、恩返し?
食欲がない、と弱気だったお婆ちゃんがやっと落ち着いてきたのでホっとする。
もっとも当初はあまりにもケロっとしていたので、どうかと思う!と、つい叱ってしまったのだ。つまりは吃驚するばかりで実感がまるでなく、暫くたったこの頃、やっと涙が出る・・・と言っていた。そんなものかも知れない。孫、つまり私の息子やフミちゃんが優しく声をかけて励ますので大分落ち着いて来たようだ。
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食欲がない、と弱気だったお婆ちゃんがやっと落ち着いてきたのでホっとする。
もっとも当初はあまりにもケロっとしていたので、どうかと思う!と、つい叱ってしまったのだ。つまりは吃驚するばかりで実感がまるでなく、暫くたったこの頃、やっと涙が出る・・・と言っていた。そんなものかも知れない。孫、つまり私の息子やフミちゃんが優しく声をかけて励ますので大分落ち着いて来たようだ。
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地球儀の軸を急回転させたような勢いで時間が過ぎているような暮れからお正月
私が写した晩酌時のご機嫌な父の姿、これを非常に当人が気に入っていたので
遺影にしました。90歳の時のものです。しあわせそうで健康でした。まさか?と
今でも遺影を見ても信じがたい気持ちでいっぱいです。
もう4日は初七日なんだ、と思うと命の儚さに呆然とします。
それにしても今回の検査入院がとんだ結果になったのは一重に入院2日目の朝食に不慣れな看護士さんのせっかちな給仕で咽せ誤飲した味噌汁が肺へ入り肺炎になった事が引き金です。あっと言う間に水が溜まり、それを抜かずに放射線をかけたので増々水がたまり、両方の肺がやられたのです。
病気に携わる人々、先生はもちろん不慣れな若い看護士さんたちが、ほんの少し自分たちの仕事にビジネスだけではない「良知」とでも言う見えない道徳心のような、豊かな心で接していたら防げたように今も思うのだが。
そうすれば後1年弱、父の寿命を全う出来ただろうに・・・いくら不治とはいえ、こうも釣瓶落としのような終息では諦め切れない。
ミサチンも妹さんが闘病中です。どうぞお大事にね。
そしてお若い友人たちからの心のこもったメッセージと電話がありましたので一部記念に。
☆
『大変ご無沙汰しています。 ワシントンDCの T子です。 母がお世話になっております。 ご無沙汰していながら、ぱとらさんのブログは毎日読ませていただいておりました。 そして今日は本当に驚いてしまって…。 何と申し上げたら良いか、とにかくお父様もお母様もぱとらさんも、皆様本当にお疲れ様でした。 実は私は、ぱとらさんのお父様のファンだったのですよ。 ぱとらさんの書かれるお父様の日々のご様子は、頑固一徹ながらもその中に優しさや可愛らしさを残した、愛すべき人でした。 一度もお会いした事もないのに、ぱとらさんのブログの中からお父様やお母様のご様子を毎日楽しみにして読ませていただいていたのです。 それが、こんなに急に逝ってしまわれるなんて。
中略
ぱとらさんもお母様も、くれぐれもご無理をなさって体調を崩されませんように。 本当に、本当に、お疲れ様でした。』
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病院へ見舞いに行ってくれる姉が玄関から声を張り上げて呼ぶのでヨッコラサとドアを開ける。下の鍵を外すのも大変なのだ。
「カステラの箱を持ってこい、と煩く騒ぐのだけど、一体何?、カステラって」姉が困った風に聞く、「あぁ、お爺ちゃんの金庫、小切手の入ってる箱よ」そう答えると「それを今すぐに持ってこい!と大騒ぎ、昨日は忘れちゃったのよね、なにも食べられないのにカステラの箱を持ってこいとは何事だろうってさ・・・」
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あまりにも急な訃報の知らせが病院から姉にあり、姉から私へ。29日の夜中1:59分に遂に父は亡くなりました。
部屋を代わったその日の面会までは苦しそうでも強気に母と話をしていたのに・・・・
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