2005/10/21 金曜日

「らしさ」を失う子供は・・・

Filed under: エッセイ,感想 タグ: — patra @ 0:02:12

桂よ。 わが愛・その死』という本を読んだ母が何を思ったか「私、すごく反省しちゃった。貴女に悪かったと思う」とイヤに神妙に言うので何事か?と戸惑う。夫を亡くしてまだ1年も経っていない母は最近になって昔、手術した人工股関節の金属部分に炎症をおこす、という難題を抱えて毎日のように病院へ消毒に行っている老体だ。近頃巷で聞くところの老人鬱にでもなったか?と質すと頭を振りつつ、「先生方には年齢の割にしっかりしてると誉められるし、レストラン三四郎で食べるお昼は楽しみだしホントに幸せ者だと思っているけどね〜貴女を犠牲にしてないか心配なのよ!いいからこれ読んで」と本を押し付けられた。

母は昔から桂さんのファンなのだ。森村桂さんにはお気の毒だがこれほどのトラウマを抱えて生きていらしたのか!と暗澹としてしまい読後の後味がわるかった。ついでに母が何故急に思い付いたように謝るかの理由が判明し笑ってしまった。

何を読んでも見ても聞いても我が娘の身に置き換えて考える単細胞な母の心配は迷惑千万なのだが

小学2年から4年の秋まで両親と離れて養護学校へ送られていた私は大事な幼児期に親の愛に飢えていた勘定になるが、天才的頭脳とはほど遠いIQだったから「餓え」などの自覚さえトンと感じないボンヤリだった。ただ、やたらに用心深い可愛くない子供には育ったが。

この本には桂さんが精神を病んでいた事とその原因が愛する父親の早すぎる死と母親の愛情不足に依る事、父親の死後、その母を護る夫役をまで背負い込んだための不幸・・とハッキリ書かれている。

「はは〜ん、わが母はここを読んで、自分が家事嫌いの悪い母だった!と初めて自覚したんだな?」と。
兎に角、映画好きが高じて映画館の梯子をしてしまい帰る時間を忘れ当然、家事も手抜きの不良母さんだった頃の30〜40代の彼女が頭に浮かんだ。上野の松坂屋で間に合わせたお惣菜と共に暗くなってから慌てて戻ってくる母・・・定時に晩ご飯が食べられるのは稀だった。お弁当のお数は考えてあるのか?常に母の事が不安だった私の5年生頃のこと・・・私から子供らしさがどんどん消え失せていった。

この本に出て来る精神科の医者の<桂さんは直せません・・>から始る数々の言葉は衝撃的だが
母親の愛情が足り無い人は沢山いる。医者の分析する言葉のみ鵜のみにもできないが「子供らしく生きられない子の不幸」が今の世の中で常識とされはじめているのだが・・・あの優れた才能を持つ森村桂さんが病んでいく理由が私には理解できにくい。

確かに夕飯を上の空で拵えるし、本ばかり読んで録に家事をしない人だったが、絶対に違う点がある。それは母が父だけは一応、愛しているらしい様子が笑っちゃうくらい我々子供にはしっかりと伝わって来た。そのせいだろうか?お腹が減りきってしまうことを除けば子供心は案外と充たされていた。

「これはお父さんがみえてから・・」「お父さんに・・」「お父さんは?」

朝から晩まで一応、形としては父を立ててみせる。ただ如何せん作るご飯が不真面目でお粗末なのだが・・中学頃になると呆れ果てて悪口を言いつつ自分で何でも作ったからお陰で料理好きになってしまった。と言う事は母は素晴らしい反面教師だったと言えまいか。

心を病む仕組みは謎だが優等生の悲劇とも言えまいか?
いいかげんな所でストップする抑止力も大事なのだろう。根本のところさえキッチリ抑えていれば・・その根本とは問題が起きても逃げずに向き合う勇気と自分に正直にだろうか。これだけ・・・でいい。

母は孫である息子を嘗めるように愛し、仮に私の子供時代、空白があったとしても百倍にして返してくれた。

ぐわっと噛み付かれもしたし蹴落とされもしたがライオン親子の愛情はたっぷり貰って育ったから本を読み終えた後・・・・

「謝る必要なんか何も無いけど、今さら家事は上手にならないし・・そのかわりもうソロソロ私を威張らせてくれない?」と母に言うと
「あら?、そうよね〜そうだった!済まないわねぇ・・」柏手をポン!と打ってはにかんだ。

親との葛藤に悩める人は一読すべきだろうが、母のように誤読して、自分を必要以上に責めないように。だって子が育つための愛の匙加減は奇蹟みたいなもの、多くても少な過ぎても問題なんだからとにかく祈るような心で接するしか方法はないじゃない。

愛でも何でも貪ることは悲劇なのだ!と思った。良い子だけじゃなく適当に喧嘩を売ったり買ったりしながらグダグダした親子関係をつづけ、時々反省しあう、誉めあう人生が好いかなぁ〜。


  1. そうだったんですか・・・。
    娘たちが小さい頃
    森村桂さんのお店に行って
    娘たちにサインをもらい
    桂さんと一緒に撮った写真があるのです。
    笑顔の素敵な方だったけど
    あの時の桂さんもつらい最中だったのかなぁ。
    そう思うと何だかやりきれない思いになりますね。
    いつか読んでみます。

    コメント by マヤ — 2005/10/21 金曜日 @ 7:29:06

  2. アリスの丘ティ−ル−ムでしょう?マヤさ〜ん♪

    母も姉達と1度遊びに行ってます(笑)
    物凄く優しい笑顔だったそうです。

    この本の中の桂さんは別人のように痛ましいです。
    ショックなのは献身的な「愛」をもってしても人は人を救えないこと・・

    ならば身の回りに小さい愛嬌をふりまきつつ
    しっかり生きましょうね、私達は(笑)。

    コメント by patra — 2005/10/22 土曜日 @ 1:52:18

  3. 若輩者の私には、まだ分からないところもありますが、お母さまに対するpatraさんの見方が、とても素敵だと感じました。
    「愛」でしょうか。
    なんだか、お母さまのことが好きになっちゃいました^^

    コメント by ヒロ子 — 2005/10/22 土曜日 @ 21:47:56

  4. 読書の秋・・・でマックを開く時間が極端に減っています。

    ヒロ子さん。
    私の母は一般論でははみだしたお人ですが、なんというか憎めない人で
    だから父も家事、料理まるでダメな彼女を「まったく!」と叱りつけながら必死に守ったのでしょうね、父は「愛してる」なんて口が裂けても言わない人でしたが、私の目には、とても良いコンビに写りました。
    二人ともなんか何処か社会性が足らない夫婦でしたが(笑)

    コメント by patra — 2005/10/23 日曜日 @ 3:52:40

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