猫糖尿病日記、似た者同志

ココ猫は15歳。今まで一番長生き猫だ。
太り過ぎで椅子によじのぼるのも辛そうに、最近、ドッサと落ちるようになった。
面白がって笑うと心なしか寂しそうな風情をする。
ダイエットフードに切り替えたのは、かれこれ6年も前の話、一向に利き目が無い。
もはや諦めて缶は出しっぱなし、食べたい時のムラ喰いはそのまんま。
それも悪かったのか痩せるどころかデブ子さん。
猫は高い所が大好きなのに、ココはベッドによじ登るのさえカバーに爪を立てて掴まり・・・やっとこさ・・・
その度にベッドカバーがズルズルと落ちて、何度直しても乱れたベッド。
整とんの秩序はピンとしたカバーにつきる。困り果てたので足台等をココ用に購入し、ベッドの下に置いてみるも降りる時だけの利用、それはないぜ。

ココ猫が私の膝に乗りたい時は、まず空の椅子によじのぼり食卓テーブルに乗り湯沸かしポットを回り、急須をまたぎやっとこさ私の側の膝に納まりグルグルと目を細めるのだ。
家族に見つかるともちろん叱られるが必死な様子と湯のみなどを避ける冒険的工夫がいじらしく、もう誰も文句は言わなくなった。

去年の春頃、私の視野の真ん前、テレビの置いてある小タンスに寄り掛かるように鎮座するココにゃんに気ずく。
?なんかすっきり痩せている。「おぉ、顔が尖ってきた、やっと効いてきたのね、ダイエット。」
この日以来丸2ヶ月御飯が終わると、眠りにつく以外じ〜っと私から見える正面の其の場所に座り込み、こちらをひたすら眺めて動かない。

猫用扇風機の風を受けながら、廊下と障子の敷き居に首をのせて、ぐったりしている姿が目立つ。その夏は暑さが殊の外厳しかった。
背中がすっかり丸まって実にしょぼい猫になってゆく、フケが多くなってお風呂に入るのを嫌がりはじめ、昔の美猫は何処へやら。
頻繁に水を飲み大量におしっこする、ゼリーシーツ優に10枚はつかうから、せっせと鋏を使って紙オムツの綺麗な所を切り分けては、母流「倹約トイレ掃除」を実践していると「かわいそうに、暑さが響くのね〜、もう人間で言えば相当の婆さん猫でしょ?」
母も我が身と照らし合わせるのか、かける声が何時になく優しい。彼女は猫の天敵なのに。

「痩せた、痩せた、抱っこできるるから良かったね」と呑気な私も老衰かな?と不安が過るも一向にココの激痩せの原因に気づこうとしないダメな飼い主ぶり。

8キロ近く有ったココ猫の身体は4〜5キロほどの軽さ、ぷりぷりな弾力の旨そうな筋肉がげそっと落ちていた。
食欲だけが旺盛なので病気とは露も疑わず、正面に座ってしきりに信号を送っていたにちがいないココ猫はこうして徐徐に弱っていった。

5月にオデコにたん瘤ができて眉間がポッコリ腫れはじめる。
外からは傷が全く見あたらない。チップ(ココ猫の息子猫)とベッドの奪い合いで殴られでもしたのか・・・めっきり気弱な風に枕元と足元の寝場所の位置を明け渡すたびに老いの兆しがみえる。
なんかどこかで見たような・・・そうだ我が家の縮図みたいだな、とぼんやりおもう。
ネット検索して病状を調べるがどれも当てはまる所が無い、食欲はあるからだ。
おネショを1度だけした。
首を垂れて萎縮する姿がいじらしく叱ることなどとてもできない。
老衰なんだろうか?〜とココがよたよたと目の前を通る姿に声をかけつつも慈しむような視線を家族全員が注いでいる。

飼い猫を看取った経験はまだ、たった2回。
どれも病院の虫下しで急死したので先生が今一つ馴染めない。
猫たちの別れは突然プイっと起こりプイっと消え2度と再び戻らない...それはまた尋常ならず辛い経験なのだ。
「最後の卒業猫」こそ我が家で看取ってあげたいと3年前から外へ出すのを止めたくらいなので、ここが正念場じゃないか。
何があっても心の用意だけはしておこう!と早速近くの病院で病人用防水シーツを買いベッドの上下に敷いてみる。
廊下に新しい紙オムツのトイレも作りお漏らししても大丈夫よ、と言い聞かせ、まちがっても病院で死なせたくない...私の腕の中だよ君は!と頭を撫でる。

珍しく慌ただしい5・6月を送り、ココ猫のタン瘤は消えていた。ネットで検索した猫癌でもエイズでもなかったのか、と一安心。
息子とお嫁さんは日本を秋には離れるので私の住居環境も大きく変わるはずだ。あれこれと計画を練りながら買い出しは困ったな、と思いはじめる。

そんな時、父が
「お前の作る物は、つい食べ過ぎて、老人の身体には悪い」「俺の食事は今までどうり母さんが作れば良いから」と一言。
晩酌を止めたくない父は摂生居士で小食、昼に起き出し味噌汁、御飯少々を納豆とか卵さえ白身だけしか食べず徹底した仙人食。
夜は5時にはお刺身、豆腐、昆布豆、煮凝りくらいで晩酌、一寝してから夜食に蕎麦、うどん、サンドイッチなどを日替わりでウイスキーを飲む独特の食生活を守って90歳。逆らうつもりは毛頭ない。

大量の買い出しに車を出してもらい食料品をシェアする息子達も居なくなることだし、今がチャンスかもしれない!
ダメでもトライするほうが食料の事で悩むより良いかもしれん、転んでもただは起きない私は1日2食をプロテインと補助食タブレット6種、1食を自由に好きなもの・・・というダイエットに挑戦する計画を密かに進行させた。

6月20日にサンプルが届き、プロテインとハ−ブタブレット6種、脂肪の代謝を促進するお茶を大量の水と摂取するプログラムだ。
すると・・・痩せるというより前にへなちょこな身体に更に力がなくなった・・・。
あろうことか、7月の終わりころから体調が急変、ボロボロになって8月には噂に聞いていた「帯状泡浸」という恐ろしい病に罹ってしまった。「馬鹿だなぁ、だからダイエットなんかするな!と言っただろう」息子が叱る。
息をしても痛いのだ。神経の節ににそって広がる発疹は右胸から脇の下で止まってはいたが、痛い。
この病は生涯に1度だけ出て免疫力の落ちた人が罹ると死ぬと聞く、かつて母が膀胱癌になった時も首に出た赤い腫れを発見したのは先生より私が先だった。

経験上日本の帯状泡浸には薬が無いことを知っていた私は早速ネットで検索、取り寄せて届くまでの1週間はひたすら痕が遺らないようにビタミンCを大量接収しつづけて耐えに耐えた。

「身体の中の悪い物が出ているだけです、続けて食べてください」インストラクターの声が電話口から冷静に響く。
3リットルの水、中々飲めるものでは無い。腎臓がひっくり返るほど驚いたのか?
「ここで止めたら駄目です」叱咤するようなインストラクターは尚も「歩きたいのでしょう?パトラさん!?昔みたいに?」と痛い一言。
もちろん歩きたい。

完全に病人と化した私は夏の暑い盛りひたすらプロテインと大量の水で「痛み」と「虚脱感」と闘い、ココ猫どころの騒ぎじゃなくなった。
幸いアメリカから取り寄せた薬が効いたのか痕を残すこともなく症状は納まった。
強い薬は21日分だけしか購入できない。医者の診断書があれば3日で日本に届くという。
その範囲で治ってしまい、ビタミンCのおかげか痕も遺らなかったのは奇跡。治る時には治るものだな〜と呑気な私にインストラクターは「いいえハ−ブのお陰ですよ」と力説、俄には信じられないがここは黙るが無難。
そして9月11日のテロ。呆気に取られるような事件に危ない時代なら案外2食はこんな宇宙食も似合っているのかな〜、一向に減らない目方に気弱と強気が入り乱れ・・・不安定な情緒というのを初体験する。
「顔痩せたね!」と息子に言われてココ猫の事か?と一回り小さくなった顔を見る・・・やつれてるよな〜しかし私達。

10月に息子達が出発すると、又もやココ猫のおでこが腫れ、今度は簡単に潰れて膿みが出た。オキシフルで消毒し(うがい薬のイソジンが良いと後で知る)ネットで検索しておいた犬猫病院の往診医をお願いする。

脚が悪いと猫を飼う資格もないのか!と悩むのだが親切に病院へ連れていきましょうか?と申し出られてもまさか、そんな事で煩わせるには若者は忙しすぎる。

¥7000_で送迎してくれるという病院の先生、往診料は高いけれど年中無休は良い条件なので早速来ていただく。
ハンサム先生だ。
何と糖尿病の為に傷が化膿して熱もある、薬の量を知る意味でも入院検査の必要有り...ケージに入れそのままココ猫は持ち去られ、糖尿病と診断結果が出た。

「猫の糖尿って死んじゃうのですか?」
電話口で慌てふためく私に主治医となるF先生は
「大丈夫、注射を毎日うってインスリンの代謝を下げればまだまだ充分ココちゃんは長生きしますが、このままでは血糖値700です、いけません」

太り過ぎていたココはインスリンの基礎代謝が悪いため幾ら食べても栄養にならず、病気が進むと同時に激痩せと咽の乾き、お小水の多い押しも押されぬ立派な末期糖尿病猫になってしまっていたのだ。
脳裏に自分のお腹の脂肪もよぎる・・・やっぱり苦しいダイエットは必要なんだ〜糖尿になったらそれこそ一大事、これは天の啓示かも・・・。

「飼い主の責任ですかね?」自分を責めると
「いや、一概に言えません。体質もあるし。同じ量食べて、糖尿になる子、成らない子が居ます。」
「治らないのですか?」「稀に治る子もいますが、死ぬまで注射が必要です。」
「死ぬまで・・・!」
もうこれは縋るしかないないじゃないか!「先生、よろしくお願いします。」
薬の量を知る為と傷の治療の為に10日ほど入院させ、早速治療を開始するとの事。
「一体幾らかかるのでしょうか?」
言ってからハッとする、毎日送迎に¥7000_+注射代+往診代、破産するじゃないか?
恐怖におののく私に電話口の先生は
「貴女が注射するのですよ、ええ、大丈夫練習すれば、貴女でも出来ます!」

腰が抜けるほど吃驚した。
「私が貧乏だから先生、同情して自分で注射しなさいと言うのですか?出来ませんよ、そんな事。」
「出来ます、教えますから。」
「自信ないです。」
「大丈夫です、みなさん打ってますから。」
「え?みなさんも...ですか?」
「はい、皆さん御自分で注射してます。」

ココ猫は傷が治ると使い捨て注射器の束とインスリンの薬とともに我が家に戻ってきた。
送迎のハンサム先生が鞄から大量の注射器を出し、おもむろにその1本を抜くと練習用に用意してくださった注射液で、ココ猫の首の後ろを摘んで皮をひっぱり肩甲骨の間に針をプス!と刺してみせてから
「はい、やってみてください。」と新しい注射器を渡された。
「まず薬瓶を、ゆっく〜り振って混ぜ、いいですか?この時、激しく振ると成分が壊れます。 ゆっくり瓶を寝かせて起こして3回〜4回ね。針の空気を抜いて、薬液(プロタミン亜鉛インスジリン)の中に入れ多めに薬液を吸い取ったら、目盛りまで針を戻して5ミリまでネ、多過ぎては低血糖になるから注意して・・・。」
「低血糖になるとどうなんですか?」
「昏睡状態になります、そしたら大変だからすぐ砂糖水飲まして病院へ連絡してください。
ハ〜ィ・・・大丈夫だから、ほら。首の後ろが一番痛くないからね、伸ばしたそこにぃ針を刺す。
そう、一旦ちょっと押さえた親指の力を抜いて。
猫ちゃんの皮は薄いので針の先きが貫通しちゃう事があるんですよ。その時はもう注射はしないで下さい。低血糖、恐いから・・・。一気にぃ、は〜い、終わりィ。」
ふぎゃ〜と練習台のココが小さく鳴いた。

この時の緊張感は産まれて始めてのわが子にミルクを調合する瞬間と似ていた・・・
すべてが自分に。この情けない新米の母親の責任に罹っている。

「ごめんよ〜母さんを許して、糖尿にしてしまって」泣き顔の私にハンサム先生は
「針が細いので猫ちゃん、そんなに痛くないですよ。」とあっさりと言った。このあっさりが統べての始まりだった。

毎朝6時に母に押さえてもらいながらテ−ブルの上に乗ったまま御飯を食べるココ猫の気が散ってる瞬間にインスリンの注射を続ける日々。
すぐ熟達した私は母に押さえてもらったのは僅か数日、自分一人で上手に注射を打てるようになり嫌がりもせずココも毎朝、自分からテーブルのうえによじ登っては餌の鶏のささ身、ヨーグルト、など機嫌よくハグハグする。
密かに用意し隠し持った注謝器プス!は一瞬にして終わりである。

「アンタ、たいした者ね〜、くすんとも鳴かさないじゃない!」母の声に、私の鼻の穴が一段とひろがったのは言うまでもない。
「何やらしても上手いね、わたし!」と・・・相変わらずの強気。

餌はヒルズのダイエット・ライト大さじ2杯とヨーグルト、注射の御褒美として鶏笹身をあげ、10時間開けてからもう1度食事、と指示され厳守した。
朝型になったら何も手につかない。ただひたすら注射をくり返す日々。
11月に一度、フルクトサミンの分量を計ると言う名目で検査入院したココは「どうも血糖値の下がりが良くないですね〜という先生の指示で目盛りを5ミリから6ミリに増やして12月はそのまま、無事に注射を嫌がりもせず年越しの準備へと突入した。

注射器は医療廃棄物なので保管し病院へ返却するのが決まりだ。年が明けて元旦に休暇で戻った息子も一目みて
「ココ、艶が良くなったね、がんばったね」と誉めてくれたけど、当の息子はパリで食中毒になって、それっきりほとんど3階から降りてこれない新年だった。
松飾りが取れるとフルクトサミン検査の為に再度入院の連絡をする。
今度は送迎だけなので可愛い看護婦さんが迎えに来たのが1月8日、「歯の無料検査月間なので一緒に診ますからね〜」
<只ほど恐いものは無い>という言葉をのちのち思い知らされる事になるとは・・・。

なんと薬が充分効いてなく血糖値が540、と相変わらず高いので薬を変えてみます、と電話があった。
翌日も薬を変えても「どうも下がりが悪い」と主治医の先生。
試行錯誤している様子にふと、ネットフレンドの言葉を思い出しセカンド・オピニオンですがと断って
「1日2回、注射するのはどうなんですか?」と声をかけると俄然先生ははりきって「大変じゃないですか?2回注射はきついですよ?  そうですか、分かりました2回でやってみます。そのほうが安定しますから。」と元気に電話を切った。

ココ猫は6日間の入院中歯石検査を受けた。歯周病とマークされた診断書と共に、薬をNPHイスジリン40mlに変えて2ミリを2回十時間空けて打つ事になり、お土産の歯のチュウインガムとか歯石の取れる見本の餌とか、付録つきで戻ってきた。
察するに餌屋さんのデモンストレーションの為の齒検診だった。

元気だったのは1週間だけ、そのうち私を見ると逃げるようになってきた。
こんな事は1度もなかっただけに、この時のショックは言い様もない寂しさでちょっとだけココの変心を怨んだ。
食事の食器をみせるだけで逃げ回るようになったのだ。
あれだけ好きなヨーグルトも鶏の笹身もダメ。とにかく注射を連想するものを食べない。

ネットフレンドのYOUCHANは掲示板の様子をみかねて別の先生を紹介までして心配してくれる。
ところが往診はしない、「タクシーで連れていらっしゃい。血糖値700なんて末期です」

低い車から立ち上がる筋力がない私は、ケージを持っては歩けない。往診の病院に頼るほかない。
言い様のない無力感におそわれながらも電話にしがみつく。
「ストレスです。人間でも2回の注射はきついですから、変だなーこちらでは機嫌良かったのに」それだけの事か?ほんとうか?

逃げるココ、追い掛けられない私は寝てる隙に注射したり、宥めたり、脅したり場所を変えては逃げ回るココに義務としてありとあらゆる食事を工夫しては注射をつづけた。

食べないと注射を打ってはいけないので注射は中止する。

食事をしてくれなくなったので再度入院することになった2月検査のココの血糖値はまだ450、しかも今度は熱が高いのですぐには帰せないと言ってきた。

この1月下旬から2月の間で私は精も根もつき果てはじめていた。これが人間の病気だったらとゾっとする・・・。元気で身の回り一人でこなす父、現役主婦の母に今さらながら尊敬と感謝の気持ちで一杯になった。

一方ダイエットしている私は肝心なものがどんどん失われているようだ。
無気力、とにかく疲れやすい自分。
インストラクターの声を聞くのも嫌になっていた。恐いのは止めれば明らかにリバウンドするほど柔らかくなった自分の脂肪だ。

熱が下がって6日目に戻ったココが元気に御飯をたべたのはたった3日。梃子でも食べなくなった。
退院後は2ミリに薬が増えていたが、もう何をあげても食べないのだ。無理にこじ開けても食べさせなさい、と先生。
流動食が注射器と猫哺乳瓶ごと病院から届く。
けれど口を触るだけで逃げる、騒ぐ、一体ココはどうしたのか?
「砂糖水を飲ませなさい」宿直の先生に言われて吸い飲みに溶かした黒砂糖を入れ母に押さえてもらって口の横から入れようとすると物凄い抵抗ぶり・・・・全身をのたうちまわらせ唸る。蹴る。
とても飲ませられず溢れた砂糖水で全身べたべたになりそこら中まき散らす。

「これは尋常じゃないわね」と母。「いいからもう死なせてあげなさい。食べたくないのよ」と無気味に言う。
ココは大粒の涙を流して私を見るだけ近寄ろうとすると逃げる姿に全身で拒絶している彼女の意志を感じた私は一切の無理強いを止めた。
3日もすると全く動きが鈍くなり、やっとトイレへ行くだけ憔悴しきっている。

バスタオルを折り両側を縫って袋にする。赤ちゃん猫に使った手だ。首だけ出して全身をここに入れ、これなら抱いたまま薬でも何でも飲ませられるかもしれない・・・

「こちらでは元気でしたよーおかしいなぁ?」の一点張り。
「私が下手なんでしょうか?」
「・・・」
「熱があるから戻せないといわれたのに二日後に退院した時、抗生物質の薬は頂かなかったけど薬が切れて又熱が上がったのでは?」食い下がる私に
「入院中は元気だったし、見えて来ないんですよ、ココちゃんの状態が」
・・・それって・・・薮じゃないのか?
明日もう一度入院させる約束をしてココを抱き締める。

ぐったりしたココは大粒の涙を流している。縫ったバスタオルに入れて抱きながら優しく撫でているうちに大分落ち着いてきたので口元や顎、咽を手で、静かに触ってみるとハテ?
嫌な感じの腫れがあるじゃぁないか?
ゆっくり寝てね、とケージに入れる時頬ずりすると、あんなに逃げまどっていた1ヶ月が嘘のように私のホっぺを舐めてくれた。

よく朝、ケージからバスタオル毎引き出すとココの猫相は一変し、右目は腫れて白い隈で被われ、粘っただ液が口から出ている。
すでに死相のように思え電話に飛びつき吠え捲っくって抗議をした。「先生、あれは齒です。なんともなかったココに何をしたんですか!!
・・・人間にも院内感染がある時代です、齒石検査で感染したんじゃないですか?」
慌てて飛んできた送迎の看護婦さんもココの異変に驚きそそくさと車で連れ去った。

「え〜っと今ココちゃん看ました。齒の奥の上下に膿みがたまって、ええ抜かないと駄目です。はい。いや1月にお預かりした齒の検査の時も悪かったんですがね、ココちゃんの場合は糖尿なので菌が入って、急激に余病を併発したんでしょう。

目の腫れも齒から来た膿みが眼球を圧迫してますね、手術すれば大丈夫直ります。
こちらはですね!一つ一つ症状が出て、始めてその治療をするわけですから・・・そう言われても現状では、ええ。
じゃぁ一体イチダさんはどうしたいんですか!いまの現状で一番適格な治療法が抜歯、パイプで溜まった膿みを抜く事なんですよ。」

『一体どうしたいのか?ですって!先生!、直してあげたいんです!絶対に元気になって抱いてあげたいのよ!もしこのままココに何かあったら訴えますよ。病院を!!』私は泣きながら絶叫した。

「・・・・ぜったい元気にします。」小さくだがはっきりと先生は答えた。

12日たってココは元気に戻りフルクトサミンだかなんだかも320−に安定し嘘のように目が精気をとりもどしたが戻った日は薬を飲まそうとした私の手を、血がでるほど噛んだ。
「猫育て名人なんちって、なんだい涙の意味もさっぱり分かってくれないじゃないか反省しろ!ぷりぷり。」と。
まったくもって面目ない。
死ぬまで注射してあげるから許してね・・・そそくさと自分用朝食ヨ−グルトシェイクを飲み干すと慎重に今日も薬を1ミリ吸いとりココの首筋を撫でる。
私は何時になったら元気になるのか・・・・・。
「ストレスが溜っていると効果が出ませんよ、好きなもの食べて暫く休んでからまた始めてください、信じるものは救われる。」そんな神だのみなんて・・・あるわけない。


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