司令塔

新しくなった台所のIHヒーターを喜んで磨いていたのも最初の頃だけ、お正月も過ぎるころ母は既に飽きてしまったらしい。
決められた戸棚に決められた鍋が収まっている事が無く、デタラメに並び、私が使う時の手順を狂わせはじめた。

こうなると又渾沌としてしまうので根気よく同じ場所へ納めるように説得に励む。
どうも母は味噌汁でも、煮ものでもちょっとずつ取っておく、そして忘れて腐らせる癖がある、捨てる、あるいは取り分けてしまって置く・・・が出来ないようなのだ。これではすぐに鍋が足りなくなるのである。

台所は共有なので母の目線で検討しなおしてよく見ると、入れ子式の鍋を重ねるのは、いちいち出し入れするのも面倒らしいのだ。
棚板を増やして一つ一つの鍋を大きさにあわせてしまえるようにし、重ね置きを止めてみた。
一つの鍋に一つの棚とは何と贅沢、うむ最高である。その分鍋の数は減るが。
高いところへも手が届くようにして・・・軽い笊などをてっぺんに入れる。
ところが母はというと、空いている僅かな隙間が惜しいらしく、タッパーや空の壜なども押し込んで、はたまたゴム手袋なども突っ込む始末。タッパー専用引き出しを作り、空き瓶専用を作ったのにも拘わらずである。 あれほど入らない分は余分である、捨てるべき物は即刻処分ね!と決めたのに。
またぞろやっかいな癖がはじまったのか、何でも取って置きたい病である。
こんどこそ甘やかすわけにはいかないので断固排除作戦に出る。扉を開けただけで一目瞭然のためには品物は少量、厳選、同じ場所!が鉄則だ。

お嫁のフミちゃんにバトンタッチする前、私の使っていた3階の台所へくるたびに母は
「なんで、あんたの所は狭くて物が多いのにかたずいているのように見えるの?」と羨ましがるくせに
「それは元在ったところへ物を戻す習慣が身についているからよ」という私の答えは午の耳に念仏なのか一向に聞き入れてくれない。
性分なのだろうか、ほんとに整理整とんが苦手。向き不向きもあるから大概我慢するが、見かねて注意すると返る台詞が奮っている。
「人間、生活しているんだもの汚れるのは当然よ、生きてる証拠よ」と鼻息荒いのだ。元気な老人は嬉しいがだらしのないのはいただけない。

人生の最期くらい綺麗に暮らす、に挑戦してみない?・・・と重ねて聞くと
「それもそうね、絶対言うとうりにするから、今度こそやる、やる!」と小学生のように手を挙げて張り切るので怪しいものだな、と心中思わぬでもなかったが自分のためにも新し〜いほうがいいので作った台所である。

監察するとやはり同じ場所へ戻す、がどうにも出来ないようなのだ。
私はと言えば手順の動作を充分にシュミレーションして一旦決めると必ずその場所に戻し、扉まで閉めるのを当然ながら守る。
昔、母は皿を出すと戸棚が開きっぱなし、鍋を出すと扉が開きぱなし、缶を出すと置きっぱなし、の人だった。それだけでも部屋中、散らかった印象になるではないか。今時そんな人はいないだろうが子供の頃「いただきま〜す、」といって周りをみるとどの食器棚も開きっぱなしなのでは生きた心地がしなかった、第一落ち着かないではないか・・・
だったと過去形なのはやかましく言ったので大分直ったからである。閉めるものはきちんと閉める、たったそれだけでも明らかな違いが出るのである。

母に息子がいないのがせめてもの救いだ。大概のお嫁さんなら、とっくに逃げて行ってしまうに違いない。 ま、同居しなければ見ぬ物清しで済む話だけど・・・想像するだに恐ろしい。

明るく頑張り屋さんで真に良い性格ではあるが家事に関してはズボラの権化、すこぶる不真面目である。
「このくらいいい加減だったから戦争中も生き延びてこれたのよ!見なさいお爺ちゃん(父の事)を。弱い弱いと言われていたのにもう90よ、かえって免疫がついたくらいのものよ!そうそう神経質ばかりでも世の中上手く行かないってば!」などと大いばりで煮返した怪し気な里芋などいつまでも食卓にのせるから、留守のあいだにせっせと捨てるのは私の役目。
「大丈夫、まだ食べられる」が口癖なのだ、たまったものじゃないのである。何故残りものが出来るのかはトンと考えない人なのが可笑しい。
新しい台所を機に多少向上心も出てきたのか
「あんた、司令塔になって何所をかたずければ良いか言って、そのとうりにするから」などと言い出しはじめた。私は中田なのか!〜
気分はすこぶる元気印しなのでやたら覚えたての新語を乱発する癖もあり「新語」を使うのも憎めない人ではある。
とにもかくにもせめて食後すぐ洗う癖だけはつけてね、と申し渡す。
「はい、はい」と調子良い返事
「はい、は一度だけ」と私。「はい、はい、はい」と母。まったく不良なばあさんである。
日に一度しか食事で顔を会わせないので、手伝う代りに食洗機を付けたのに何を思ってか使わない強情さもあわせ持つ人だ。

ちなみに家の台所には水きりカゴがない。食器は洗って間髪をいれず拭いて食器棚にしまう、を死守してほしいから敢えて置かない。食器を洗ったら広げた布巾の上に載せ、片っ端から拭いてゆく、25年の同居で娘にガミガミ言われ、さしもの母にも根づいたのだからまだまだお鍋の置き方も許容範囲であろうと期待は捨てていない。

物が捨てられない人種がいるらしい。TVでADD症候群、というのをやっていたが母の昔はどうもこれに近いような暮らし方だった。特殊な才能の人に多い、捨てられない症候群。
本が好きで映画が好きで雑学博士、歴史に詳しくて、母がいないと歴史上の登場人物がチンプンカンプンになってしまうくらい系図に強い、一家にひとりのお大事な生字引きである。その証拠に母の解説がない留守のTVは実につまらない。
一方、私は部屋の模様替えをしている時が一番しあわせ、引き出しの整理などが好き。
はからずも良い凸凹コンビなのかも知れない。
本日も収納棚の、ぐちゃぐちゃとなった香辛料を料理別に並べかえ缶詰めの絵を同じ方向にピタリと揃えながら悦に入る自分に、ふと我にかえって
「あたしもそーとう変かな?」と自問してひとり笑った。

世の中いくとうりの人がいてもいいのである。好きに生きていい、しかし願わくば老いの兆しがきたら必ず人の手を借りる日が来る、と自覚して生きてほしい。
せめて日常生活の習慣だけは小綺麗で簡素に軌道修正しておかないと荷物に埋まる嫌われ老人になってしまう。
TVなどで写る老人が小綺麗に暮らしているのを見るとホントに気持ちがいい。
肝心なのは・・・たとえ家族といえどもお互いの性格は時間をかけて把握し、正しく強い勢力範疇に引っ張り込むには忍耐力が要る。
お互いが手を変え品をかえ飴と鞭で解決してゆく必要がある、ちょっと政治に似ているかな。
「ほら、見て綺麗に暮らしていること!」
と言うのが今のところ一番の薬、沈没する船を見捨てて逃げるネズミではなく、向上心は人間の特技なので競争心に訴えてみるわけだ。
家庭も国家や船と変わらない方法論でもってすれば案外上手く治まる、とは大袈裟だろうか。
手を貸すばかりが親孝行とも限らない、任命された司令塔、大いにしてみるつもり・・・。


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