悪魔の囁き

最近なんだか意欲が湧かない。原因はこの部屋の状況にある、そう思いついたので改めて見直してみた。なんと行動範囲の殆どを手がのばせる広さに限定してセッティングしてある横着な情況に我ながらあきれた。ベットまわりに必要なもの全部寄せあつめて、まるで学生時代の部屋の再現である、なんと色気のないことか。
私の本性は遺伝子的にやっぱりものぐさだったのかしら・・・というわけでちょっと反省。
昼夜逆転する日が多くなり何故か身体が冷えるのだ。すると無気力になって当然お洒落をしなくなった。
毎日ベッドに胡座をかいて腕組みしているのだ。他の部屋に割くエネルギーが少ない。
いけない、いけない。人は部屋から多くの気をもらっているというのに・・
万歩計をつけたら600歩と歩いていない。いったいこの無力感は遅い更年期障害なんだろうか?
いわゆる中年の自覚がないまま隠居生活に突入した私は、どうも勝手がわからず世間と相変わらずずれている。昔からなんでも自己流の物差なので慌てはしないが、この倦怠感が堪らない。く〜っ。
私の住環境は人さまに自慢できるようなのは一つもないのだが、綺麗好きなのが取り柄なので気持ちがいいといわれてきたしそれが嬉しくてせっせと模様替えに励んできた。
インテリアに関するエッセイなんかも書いてほしいとメールが来たり・・・HPの写真から部屋に対する愛情のようなのを察知されてのリクエストだろう。
確かにある情熱のようなものを注ぎ込んで部屋造りをしないと渾沌の内に挫折する環境なのだ。古い家は間取りもせせこましくよほど根性をいれて工夫しないと、とても住めたものじゃない。
今流行りの大きな空間なんか望めもせず諦めと妥協の産物。覚悟して整理整頓無駄なものを排除してゆかないと一瞬にして調和が崩れ去る恐ろしい家なのだ。質素であるという事とある種の統一感を大切にしているだけだが。
決められた場所からちょっとでも物が動くと調和が崩れさり不機嫌になる自分がいる。
潔癖症、と人は呼び家族は迷惑がるが・・・私は「整頓は数学だ!」といっている。引き算や足し算は必ず答えがあると・・部屋にも物にも在るべき答えはひとつ・・と。
ホントは私の個性に合わない物は何一つ置きたくないのだが現実は厳しい。ひとりで暮らしているのでもないかぎり、だから妥協の毎日だが。
今の寝室はいわゆる和室なので基本的に、いや生理的に私の感性とはどこかチグハグなのも気に入らない。

そんな部屋でも唯一気に入っていることは天井が板では無くてコンクリの上に葦が吊ってある所だ、右側の事務所との境、ブロックの壁と天井を黒いつや消しに塗ったらユニークで好きな雰囲気になったこと。ここは昔は客間で吉田五十八氏(数寄屋建築で有名だった日本近代建築の大家)に心酔していた父がちょっとだけ凝った造りの茶室にしたつもりの部屋である。太い竹の柱や石のとこの間などが考えようによってはモダンでフロ−リングにしてどうにかベッド等が置けるのである。部屋のイメージとしては黒と白のモノトーン、イサム野口風にまとめてみた。部屋の真ん中に白いベッドをデンと配置した。陽が入らない一階なので冬は寒そうなのが気になるが。クッションやスタンド等を適当に飾りシックで綺麗で案外満足するできばえになった。ところが今はカオス。あんなに綺麗好きだった私に一体何が起こったのだこの一年に。
そもそもベッドの足元に机を置いたその日からバランスが崩れはじめたのだ。それまでは英国風ブランヶットボックスが置いてありそれなりに寝室のバランスが保たれていたのである。
障子さえ見なければ天井から下げた白いカットワークのカーテンも奮発したので品が良く、枕元のスタンドも大きくて白い傘が雰囲気を盛り上げ、ベッドの左側にピッタリと寄せた2竿のロウ・チェストも部屋一杯なのに邪魔にならない白木で風水のための夏みかんが山盛りだったり、思いでの写真たても2・3個、花も常に飾られて空気のいれ替えもこまめにして気持ちの良い風景になっていた。黒壁に並べた3連の黒いクローゼットも通販のわりにはスッキリ。
息子が使用していた以前を知っているお嫁さんが思わず「素敵」と歓声をあげてくれた出来ばえだから・・自己満足だけじゃないと思うけど。
そんな緊張感がある日を境にくずれはじめるなんて。

去年、パソコンという物を息子が誕生日にプレゼントしてくれた日から事がややこしくなって来たのだ。
憧れのネット生活、これであなたも現代人!? 欲しくてたまらなかったから有頂天で自慢しまくりの興奮しまくり煩いったら。
日がな一日練習しないとタイピングもおろか他所のサイトも覗きに行けない。2階の小部屋まで行き来する時間なんか当然惜しいほど朝から晩までノートブックを開いていたかった。そうだ寝室に置こう!
早速捨てるはずだった息子の古い机を足元に置き邪魔なブランケット・ボックスは廊下へ押し出すことになった。机だけで部屋が埋まってしまうので椅子にはかけずベッドに座って足を椅子の上に乗せてみる、ま、こんなものか。ベッドが高めなのでそこに座ると机のノートパソコンに向う時、背中がちょっと曲がるのだが。
これで朝起きてすぐと、夜眠る直前までピチピチ練習出来るぞ!ヤッタ、疲れたらすぐ大の字に眠れるし!と大満足。
パソコンに向う私の背中には我が愛する猫ちゃんが3匹、ぴったり寄り添って身じろぎもしないで寝息をたてているという幸せな光景までがオマケに付いてるし。
熱中しやすいたちだからそれこそ朝晩、閑さえあればキーボードにむかう日々・・・ところが疲れたらバタンと後ろにひっくり返って寝られるようにわざわざ足元に机を置いたというのに、一度猫ちゃんを下敷きにしてウギャーッと叫ばれてから2度とあの快楽を味わっていない・・・
ホームページを立ち上げるまでは熱病状態になるらしい。パソコンに向っていないと自分が不安になる始末。生活の全てがパソコン、昼夜逆転する日が増えてきたのだ。穏やかな隠居生活は俄文士?に早変わり、既に完全病気状態を気がつかないのは当人だけというお粗末。
机のまわりが日に日に渾沌をかもし出し収集がつかなくなっていた。レーズンの袋や飲み物の缶や読めない本が山積みで、お洒落もあまりしなくなった。まるで女書生、眼鏡をかけてノートパソコンに向っていると廊下から母が覗いて溜め息ついて「何たる形相、下から煽られる光(パソコンモニタの照射)って恐い。不器量そのものよ〜いいかげんにしたら」の暴言を日に何回となく繰返す。
「うん、うん」と生返事。
でも物事は極めるところまで行かないと、ねえ?
気がついたら一年が経っていた。
体重まで増えていた。それでなくとも運動できない身、一日クルクルとお掃除するのが運動だったのに、さぼりにサボって、一体私何しているんだろう?
たっぷりついた背中の脂肪が恐ろしい。これを落とすにはちっとやそっとではいくまい、多分立ったままでキーボ−ドにでも向わないと歯止めが無くて、現在の情況から立ち直れないのじゃないかしら。いっそ捨てようかパソコン?この淀んだ部屋は何なの?昼間眠っているんだもの、どうみたって正気じゃない、掃除機まで倒れて放りっぱなしで何日も。
美しい暮らしかたなんて誰が言ったっけ?そんな言葉からほど遠いことは間違いない。モニターからの光もお肌に良いとは言えないのでは?ふつふつと疑問が沸き起こる。寝室からノートブックと机を追い出す算段を実は真面目に考えはじめている。開かなければ済むのだろうがきっと既に中毒なのか電源を入れないと罪悪感に苛まれるしネットフレンドにも遇いたいし。心は葛藤にくるしむばかり体重は増えるばかり。
あの健康的でうつくしい生活よ何処へ行ったのだ。
夜中じゃないと文章が書けないなんて生意気言うのもやめよう、お客さまを断るのもやめよう。
そんなぼやきを聞き付けて「もう無理だね。ぱとらからパソコン取ったらすぐ淋しくなってボケるよ」悪魔のように息子が囁くのだ。チョッと待て!君、君が張本人なのに〜。

G3ノートブックまで怪しい光で今日も私をまねくのだ。だ、だめだ。手が震えてきたぞ、いよいよ末期。


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