苦闘120日?(途中経過)

私がホームぺージを立ち上げたきっかけは息子の作戦であった。 これ以上自分に母親の干渉が及ばないようにする時に必ず使うプレゼント作戦である。 新しいものへ興味を移させることによって自分への目線をそらす計画なのだ。 新しもの好きで凝り性の私はすぐその手の罠に落ちてしまう、そそっかしいのだ。 パリから連れ帰った卒業猫の時のように・・・ココ猫育ては苦労したのなんのって。 この3月に
「頭惚けたら嫌でしょう?HPでもやったら」といいながらMacのノートパソコンG3を渡してくれたのがそもそものきっかけである。 中身は私の描いた絵やパリ通信のときに使っていた掲示板は付けてあったがまだノッぺラボーな状態だった。 
話は去年に遡るが息子達が仕事でパリに行く事になった時私はまだワープロもおぼつかない全くの初心者だったから、メールなども送れる常態ではなかった。 5年ほど前に事務所の部屋がアッというまにPCに占領されはじめた頃、不格好なマシンが美意識に合わず嫌でたまらなかったのだ。 何台も増えてスキャナーやプリンターやそれに附随するメカを揃え音楽関係のマシンまで持ち込まれ、かつて私が使っていたスタイリスト事務所の面影は無惨に破られてゆく始末。 もう息子に明け渡したのだから何も言うまいと自らを慰めつつ、でも機械の重苦しい表情が部屋を占領してゆく感じが嫌いだったから、自分から進んで習う気は毛頭なかった。
息子がプログラミングした易のデータの出し入れだけを覚えてヤットコサ、って感じ。 HPを作るなんて考えも及ばないことだった。 国際電話が面倒だな、と考えた息子は私でも書き込める写真入りの掲示板を作り東京−パリ通信として残して行ったのだ。 なんかあったらここに書き込めと言うわけだ。 この時が本当の意味ではじめてのワープロ作業の始まりだったわけである。 自己流だからカタカナの変換も、「お」と「を」の区別も「?」「!」マークもデタラメな噴飯物な書き込みしか出来ず、頼りにすべき息子は海の彼方なのだから闇雲に慣れるしかない。 今読み返すと変換の間違いや何やでそれは酷い文面だった。 そんなお粗末な知識しか無い私がHPを立ち上げる無謀さを、知らないということは恐ろしさも知らないから「ラッキー」くらいに考えたのが浅はかである。
コピーライターの糸井重里氏がなにやら人気のHPを立ち上げているし世情もインターネットだHPだと騒がしい。 負けず嫌いの性格がまたもやムクムクと頭をもたげ、友人知人に始める宣言をしたところ反響ゼロ、興味を持つ人間は全く無かった。 広告関係の人間は意外にHPを立ち上げていないのだ。 世代的に無理なのかも? それに友人達はいまだ現役である、私のようにひと足先にリタイアをきめてぐうたらしている人はいない。 
「閑ね〜」アッサリ一言でかたずけられた。
もともと出歩かないタイプというか家に居る方が好きなので、ネットで買い物なんかもしたいなと思い早速始めることにした。 まず素材作りをと森瑶子の思い出をエッセイに書きはじめたら、最初のショック!あらかた書き上げた原稿が保存のkeyを押す前に消えるはめに。 慌ててあちこちボタンを押しても後の祭り、フリーズという現象にも悩まされ叫んだって動かない、其の度にいちいち煩いそのへんの叔母さん化して助けをもとめるばかりの私に、さすがの息子もシマッタ!と思ったらしい。 ハイパーカ−ドで自動保存の原稿用紙スタックを作ってくれた。 これならもう原稿が消えて慌てることもなかろう。 けれども考えられないミスが続きそのあまりの初心者ぶりに「鉄は熱いうちに撃て」と協力的だった息子が呆れ「そんなの常識だよ!」とか「覚えようって気、あるの?」とかまるで私をお馬鹿よばわりする始末なのだ。 彼はプロかもしれないけれど、私はメカに弱いのだ、第一脳細胞が毎日破壊されている50年代後半なのだと同情に訴えても「駄目、駄目、甘えは許さん」「何回教えたと思ってるの?」と昔、私の口癖だったような言葉を投げかけるばかり・・
立場が逆転しているではないか。 ちょっと前の自分と親のやり取りみたい。 あ〜ぁ、目上は敬まはなければ我が身にも繰り返されるとはこの事ね・・と泣き泣きメモ魔と化す私。 一言一句聞き漏らさじと鉛筆を嘗める私がそこにいた。
メモだらけの母の机を笑っていたというのに、しらない間にすっかり立派なオ・バ・サ・ンの仲間入りをしてました。 それに老眼に鞭打ってのタイピングも雨垂れのようなおぼつかなさでは字を拾うのに精一杯、とても文章の推敲どころではない、辿々しいったらありゃしない。 我ながら情けない、思っていることの万分の一も書けないのだ。 なんでこんな事始めちゃったのかしら?の焦りの日々。 6〜7月と落ち込むばかりである。 でもここで諦めたら女がすたる?と残り火を燃え立たせ、とりあえず森瑶子さんの思いでだけは劣化しないうちにと続けていたらアッというまにエッセイが溜まりはじめた。
「何でも書けばいいってもんじゃ無いよ」と批判的だった息子も「ようやるね!」と笑いながら誤字脱字をチェックしてくれるようになっていた。
立ち上げてからどこの検索エンジンにも引っ掛からなかったが、ヤフー・ジャパンでは何故か作家森瑶子のジャンルに入れてもらえて、エッ?という思いだが、このHPに来てくれる人達に感謝したい。 
箸にも棒にもならない駄文を根気よく付き合って読んでくださった最初の読者の空さん、最初にリンクしてくださった純平さん。 最初に掲示板に書き込みしてくれたハタケダ君や最初にメールの返事をくれたシルさん。 そしてフラッシュのプロのYOUCHANに! 掲示板の常連になって励ましていただいた。 HPを始めたことによって、こんな若い才能に巡り会うこともできるネットの素晴らしさを身を以て体験できた。
厳しく指導しつつ目を離さないでいてくれる息子に感謝の気持ちをこめて、その息子を支えてくれるフミコさんありがとう。 とろみあっぷさん皆さん全ての人にありがとう。
4ヶ月経ってやっと一息つけました。 楽しむのはこれからだな! アッ、退いてない?君たち。 ところで大きな誤算が一つ、ベットの足元に置いた机の上にノートブック乗せてベットに胡座をかいて座り暇さえあればHP巡りしていたらお尻の形が台形になってきた事。 昔鳴らした柳腰は完全に消え失せました。 友人の笑い転げる様子が恐いこの頃のわたし。


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