香水瓶

10年ぶりに高校時代の友人から電話があった。 体調を壊して療養していた!と聞いてからすぐお見舞いの手紙を出し、無事退院した旨返事があってからは一年ぶり、声をきくのは10年も経っていた。 定期検診の帰りにちょっと寄りたい、とのことだった。 
わりあいややこしい病気だと聞いていたので、ちょっとでも休める場になればとOKする。 当人は海の見える近郊から月一度、築地まで出てくるのだ。 
翌日約束の時間ピッタリに友人はあらわれた。 思ったより遥かに元気そうでホッとする。 世間をさわがせた銀行が閉鎖されたと同時に発病した彼は、私には珍しいホワイトカラーに属するタイプの友達だ。 一般常識的には水と油なのにもかかわらず40年間音信の途絶えることなく続いたのも高校時代に培った友情と同人誌のおかげである。 彼ともうひとりの女友達は17歳で私は15歳、3人で雑誌を手作りしていたのだ。 チグハグだったが良いコンビだった。 当時の学院は年齢がマチマチだったのだが、優等生の二人がよく私を仲間に入れてくれたものだ、と思う。 

話しを聞いてみると、病気は肺癌だそうだが、自覚症状はまったく無かったとのことだ。 従来どうりの健康診断で見つかった時には、既に両方の肺に転移していたらしい。
「結構つらい治療だったけどがんばれたよ、お陰さまであと何年かはまだ生きてても良いらしいから」
・・・黙って聴いているほかなかった。 レーザー治療のおかげで転移の痕が消えて、無事1年経ったので奥さんと海外に小旅行をしてきたから、その時のお土産!と言って、鞄からパッションフルーツのチョコレートの箱とひとしきりごそごそした後、小さな箱を取り出してみせた。 

昔とかわらぬ穏やかな目がニコニコしている。 
「シンガポールって何もないんだよ、ブランド品ばかりでネ」
「そんな大変な時に・・・お見舞いの御返しは奥様から頂いてるのに・・本当に義理堅いんだから」と慌てた私は「そんな気ばっかり使うから病気に成っちゃうのよ」と言い乍らも包みを開ける。 
「そんな大袈裟なもんじゃ無いよ、」と友人。 
出てきたのは手作りの香水瓶であった。 繊細なガラスに金や青で紋様が手描きされている、アラビアンスタイルの容器である。 
「うわーっ、素敵じゃない? 私のイメージ、ピッタリよね!」
「香水は好みがあるだろうから、入れ物だけ、ほらいま流行ってるじゃないか、ェっと?」
「アロマ、フレグランスの?」
「うん、それっ・・好きな香りを入れると良いよ」
「ありがとう、大事にするね!」

私は感動していた。 大病を抱えているのにも関わらず無事1年を迎えられた彼の喜びがしっかりと伝わったからだ。 多分一緒に戦ってくれたであろう伴侶である妻への感謝を込めて企画された旅行だったはずだ。 その間夫妻は充実していたのだと思う。 その幸福を分かちたくなったのだ。 

行く先々で感動や感謝に心震えたににちがいない。 
大病や事故を体験した人間は目に見えるもの全て、見えないものの統べてに感謝せざるおえないような慈しみを覚えるのを私も体験している。 

「これ、xxxさんにどうだろう?」
「あぁ、いいですネ、それになさったら?」
そんな穏やかな会話が聞こえてくるような夫妻の旅であったろうと想像できる。 
病後の夫に寄り添い夫の意志に従いながら生きる妻の健全さがあるかぎり、凡々として時が流れ、あんがい病にも勝てるような、フッとそんな涼風をかんじさせる、それは綺麗な瓶だった。 

(友人に仮に、仮に万一のことがあったとしても、この香水瓶が私の手許にとどくまでの楽しいいきさつで十分に思いでばなしに花を咲かせてあげられるとおもうし、電話だけでまだ面識のないお嫁さんと友達にもなれるな!)と思ったら嬉しくなって「心配ないから、大丈夫だから」をくりかえす私に、友人は安心したように笑った。 


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