2005/10/5 水曜日

日なた水の心地よさ・・

Filed under: 日々雑感 — patra @ 0:30:34

みなさんはもちろん御存知だろうが時々ここを覗いてホっとする隠居、おでんさんのブログ・・・素敵な奥さんへの道・・・・
子育てをしながらゆった〜〜りしていた若い頃の一瞬、其の時の自分の時間が蘇ります。

働くことによって何もかも急変した吾が人生(笑)

まったり・・・が大事だ、と思い出したい時、覗きます。最近はタイトルが「おばあさんと妻」になりがちらしい。

それはそれで最高な空気が流れます。お薦め。

かわいいお年寄り推進委員より・・・





2005/10/4 火曜日

サンドウイッチを作ろう

Filed under: 料理 — patra @ 0:01:43


自家製ローストビーフ・サンドウイッチ!
これを作ることができるのはごくごく稀です・・・余ほど良いタイミング。

まず滅多に残ることが無いもの(笑)!

偶然に残ったら、ラッキーまずイギリスパンのサンドウイッチ用を確保します。バターを室温でとかし
パンにたっぷりと塗りマスタードもたっぷり。
レタスに薄切り胡瓜、あればピクルス、そこへ細く切ったローストビーフを厳かに乗せて
(肉切れは大きいままだと噛み切りにくいことがあるので必ず切っておくのがポイント)
グレービーを垂れない程度に・・もっとも私は塩だけをふりかけます。

「ラッキョ」をピクルスのかわりにして大皿を抱えてTVを見る・・・ダグウッドになったつもりで大口あけて食べます。

ちょっと至福。市販のサンドウイッチでは味わえない贅沢な気分になります。卵サンド、ハムサンド
もっと自家製を試してみよう・・・美味しくてびっくりします。





2005/10/3 月曜日

涙の腰越状・・あるいは弁慶哭く

Filed under: 大河義経 — patra @ 2:40:46

今回の「涙の腰越状」に対する感想を読むと私のウエットな見方とは大きく違いがあるので暫く考えてしまいましたがこれこそが判官贔屓の感情なりと納得しましたので敢て書きます。
回想シーンばかりで食う読む歩くさん、おおいに不満らしい。(汗)
手抜き・・との感想もありましたが私は「義経」を情の人として描くことを決めた時から監督の内にちりばめられた場面が結集し腰越状を書くまでに至った時間的経緯を回想する事で強め、かえって効果的だと観ていたからです。むしろ回想が無く台詞だけで表現するのでは義経、頼朝二人の費やした時間の誤差のようなものが、斯様にまでも食い違う結果になろうとは・・そんな万感の思いで、重く胸に受け止めながらみました。・・え?何方も泣かなかったのですか(笑)
さしずめ弁慶と隠居大泣き、二人ともダメですね、歳のせい?。

弁慶の腑甲斐無さや堪増を説得するシーンはむしろ要らなかったと FIG JAM さん。すると脚本の甘さは極まり水軍が何故源氏側に寝返ったかを表現出来ないし・・・義経の為に討ち死にした乙若に全く触れない不自然とか問題が満載であることは確かに認めましょう。
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2005/10/2 日曜日

韓国風茹で豚をチョジャンで・・

Filed under: 料理 — patra @ 5:34:02


最近ちょっとダイエットをしているのでカプサイシンの多い料理は?
と思っていたら若い韓国の友人からとても美味しそうなレシピを教えてもらいました。

きっと本物とどこか違ってしまったかもしれません。

ほんとは豚バラ肉を使うのですが豚ヒレと鶏のウイングスティック・・つまり老人向き(笑)
野菜は丸ごとのタマネギと日本葱の青い部分、ニンニクを一緒に圧力鍋で蒸気があがって3分
でも人参も参加させました。
サラダ菜がなかったのでタ−サイを炒めて敷きました。


白髪葱をたっぷり乗せたスープは茹で汁です。塩胡椒で味付け・・ショウガの千切りも入れてみました。

チョジャンと言うソースが絶品です。

白味噌が無かったので仙台味噌と練り白胡麻、コチジャン多め、酢多め、摺ったニンニクに味醂
ごま油に刻んだ葱沢山、赤い唐辛子のかわりに七味に炒り胡麻。


チョジャン 
正しいレシピはこちら
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2005/10/1 土曜日

名作支えた「美術」の存在

Filed under: 人物,時代 タグ: , , — patra @ 5:00:21

成瀬巳喜男監督「浮雲」のセット再現・・・と題されたお知らせが産経の文化面にのっていたので読むと中古さんと竹中さんの名前が出ていて懐かしかった。昔結婚していた頃、夫は東宝撮影所に掘っ建て小屋を借りセット美術の特殊小物を作る会社を友人5人と経営していたのだが戻ってくるとよく「中古さんが・・・」とか「中古さんに言わせるとさ・・」としきりに口にする名前があった。
「誰?」と尋ねると東宝の尊敬する美術デザイナーらしく大学出たての夫達を何かと指導してくださるらしく、名前がでない日はなかった。

その他、黒澤組の村木さんやその奥様の通称「女史」と呼ばれる方、衣装の柳生さんなど当時日常のように耳から入る名を聞きながら、いかに優れた美術デザイナーが周りに居たかが今なら想像できるが・・・興奮して語る夫やその仲間に「ふうん・・」とねぼけた相槌をしていたのだから勿体無い話である。

新聞によるとあの名作「浮雲」のセットを手掛けたのは、その中古智氏で成瀬監督生誕百年の特集上映に合わせ、東京近代美術館フィルムセンタ−(東京京橋)の展示室に再現されている高峰秀子が演じた「ゆき子」の戦後の侘びしい部屋は、当時中古さんの助手をしてらした今は重鎮の竹中和雄氏が中古氏の描いたデザインをもとに大道具に発注する設計図をひいた・・・と書いてありました。
古い感じを出す為にまっさらな板を焼いて磨きを掛ける東宝美術独特の「焼板」のことが書かれて懐かしさがこみあげました。

私がひょんな事から広告の映像に拘わるようになった大本はこの元夫の仕事が映画関係の美術だった事も由来している。息子が3才になったある26才の初夏、人材不足だったのかいきなり衣装をやってみない?と勧められて浜美枝さんと植木等さんの「日本一無責任男」というタイトルの映画の衣装デザイン画を担当することになったのです。

初めて東宝の衣装部屋に打ち合わせに行くと何と畳の部屋です。沢山の衣装が下がった汚い部屋に監督も女優さんも車座・・・すごく古めかしい世界に戸惑いを感じました。

その時の美術デザイナーは既に1本になっていらした竹中さん。痩せてメガネがキラリと光る30代の青年でした。
一応脚本に基づいて描いた私のデザイン画を元に衣装さんが作るなり集めるなりするのです。何ひとつ指示はありません。請け負った側の理解力と自己責任、実に大人の世界です。
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