2011/9/29 木曜日

何も出来ないなら5つだけ

Filed under: 人物 — patra @ 17:45:55

DSCN0603だいたい窓際のチェストの上にしかPCを置けないのは偏に配線のミスで有る。事前にレイアウトを理解できなかったのは単に勉強不足なだけで、自分が情けない。
Notebook proを開いている時間が一番眠い・・・窓際の池の反射が眩しくて何だか催眠状態にかかるのだ。5分もすると瞼が重くなります。
今後の日本について真面目に書こうにも気力が薄れる・・・

昔、ほぼ十年前に、息子が夢で若い中学生くらいの子供達に本郷三丁目の辺りで囲まれて袋だたきに遭遇しそうになる寸前で目が覚めた!と話してくれた。

もう其の頃はバブルが弾け不況が忍び寄っていた。年金問題が取りざたされ、若い子達の未来が危ないと騒がれていたので「ありえる話ね、」と深く溜息をついたのだ。日本のモラルも劣化していた。

其の夢以来、更に私の口癖は「もう日本を捨てなさい」だった。

息子を海外に留学させる以前から実は布石を打っていた私は,松葉杖の息子を広い帝国ホテルのロビーを,ワザワザ横切らせて映画を見に行く、という苦行を息子に強いて,外国人に慣れさせていた。
耳を真っ赤にしながらそれでも映画が楽しみで懸命に歩く中学生の息子。
どこででも生きて行ける強かさが無いとあらゆる意味で生き残れないのでは?と思っていたのだ。
羞恥心という敵と,先ず闘わせたのだった。今から思うと乱暴な教育だが。

「まさか,捨てる気はないよ」と言いつつほぼ10年フランスで暮らしている彼等だが3月11日以後、懸命に福島支援ボランティア活動をしながらパリで生きている息子も今は車椅子なのだ。

安全安心など地球の何処にも無いように思う。目の前の出来る事をコナしながら,何度も言うが日々を暮らすしか無い我々障害者にも大きくのしかかる問題が福島、いや日本の再建だ。

私はどんなに罵られても誹られてもいいが政治に関しては棄権ばかりして来た。
東京都の知事戰以外は・・・・選挙区にも選ぶべき候補者が居なかった。
日本人が「人を見る目を失い」代わりに得た勝ち負け至上主義、競争力,お金,名誉,健康至上主義などの数による価値観重視を赦すことが出来なかったからである。
生まれながらにして遺伝子の病気があるが、それすら公表することさえ赦されない時代背景に組み込まれ,偏見のただ中で,どうせ理解されぬならば「自分らしく」を胆に命じて誰の真似でもない人生を強かに生きて来た。

あらゆる無駄が蔓延している世の中で必要なモノは5つだけ、と思って生きていた。
これも反論覚悟で言うが一億総保育園病・・・昔は共働きのための施設が今や誰でも子供を預けることが出来ると聞いた。
そして時間の余ったお母さん達はファミリ−マートでお喋りとランチだそうです。
絶対におかしい。おかしい事は山ほどあるがキリが無いので先ずこの事。
私が日本人で唯一尊敬している養老孟司先生の「養老孟司が語る原発」報告を纏めてくださった方からのリンクを載せます。原発は政治にしてしまったため混乱している。
本来は「技術」論を展開すべき!と先生は言い切っている事がとても印象的です。個々がこの技術を磨く、主婦は主婦の学生は学生の今与えられた本分の技術を磨く,政治も役人も技術者も科学者も「技術」を磨く観点を持つべきとは私の考えですが,閑にしている時間は無い。

もしも万一こん後、30年もこんな状態の中で生きることになったら、もっと地獄な現状をみなければならないのです。3・11は始まったばかりの次世代への警告だと思います。
日本の危機管理の甘さは後藤田さんの5訓から学ぼう。

昔、これしか教えられなくとも幸せに生きて何の不自由も無かった5つの教えを書いておきます。
 

祖を滅せず,師を欺かず、長上を敬い,後輩を侮らず,同志互いに親しみ合い助け合う・・・・ 

たったこれだけです。時代おくれと笑う前に若い人にもう一度日本を日本人の美徳を考えて欲しい。





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