2011/9/7 水曜日

美学

Filed under: 時代 — patra @ 0:07:32

DSCN1578この所心配だった紀州白浜に住む友人と連絡がとれて「無事」と分り少しばかりホッとした。
福島住民の置かれた現状や異常な雨量の気象状況などは日本沈没、を思わせブログを書く心境では全く無かったのだが・・・一つだけお伝えしておきたい事が有る。

昔、息子達が20才代の頃、易を看る私の元へ息子の友人や同年輩の子供達が良く相談に来ては「自分の将来はどうですか?」と訊かれた。
様々な環境,親御さんの遺伝子を受け継いで皆、夫々に頼もしく良い子達であったが不思議な現象が在った。
ほぼ全員、中年以後の軌道が非常に不安定な若者が多かったのだ。

「ぱとらは変だよ,なんで我々ほぼ全員晩年運が良く無いんだよ!」口を尖らせて息子が抗議した時に私の答えは・・・

「不思議だけど仕方がないのよ、ほぼ全員同じように軌道が不安定なの,多分・・・戦争が有るか天変地異だと思う」

「戦争って?何処と?」あきれ顔で息子が訊くので
「北朝鮮のミサイル誤射か地震だと思う」
確証はなかったがそう答えた。息子は黙り込んだ。
ほぼ20数年前の話です。

3/11日以降、福島原発事故の情報が流れた時は、関東全土も汚染されただろうと直感したが政府の報告は、お為ごかしの日和見ばかりだった。

海の生物はもちろん植物も畜産も東北は汚染されているだろう・・・今頃になって高い数値や土砂の処理が話題になっている。

徒に不安を煽るつもりは無くとも事は深刻且つ重大である事に国民がもっと気がついて欲しいと思う。

日本を駄目にする為に堪え難きを耐え忍び難きを忍んで復興の為に努力してきのでは無い我々東京ッ子世代(戦中派)が最期の声を振り絞って問いたいのです。(この場合の東京ッ子は焼け出された下町に限る)
原発を誘致した責任を国民全体の痛みとして捉える・・・一見美しい言葉だが、考えて欲しい。あの3月10日の大空襲で亡くなった十万人、焼け出された下町の人間は国も近隣の助けも無く焼け野原から這い上がってきたのです。

東京の人は冷たい・・・と地方の人々が良く口にするが丸焼けだった東京は冷たいのでは無い,余裕と甘えがないのです。
この無駄な甘えを恥とする美意識で焦土から立ち上がって来たのです。
被災地の人々が創痍工夫で立ち上がる事でこそ無能な政治に止めを射せるのです。
我々は正しい情報を流す努力と根本を考え国を創り直す烈士を応援したいのです。1票たりとも私利私欲の輩を政治に送り込んではいけないのです・・・

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