2011/9/4 日曜日

養生の心

Filed under: 人物 — patra @ 13:30:05

 人寿(にんじゅ)には自(おのずか)ら天分有り。
 然(しか)れども又意(おも)う、

 「我が身は即ち親の身なり。
 我れ老親に事(つか)うるに、
 一は以(もっ)て喜び、
 一は以て懼(おそ)れたれば、
 則(すなわ)ち我が老時も
 亦当(またまさ)に自ら以て喜懼(きく)すべし」と。

 養生(ようじょう)の念は此れより起る。

【訳】
 人の寿命には自ずから天の定めというものがある。
 しかし、またこうも思う

 「自分の体は親から授かったもので、
 親の体も同然である。
 だから、自分が年老いた親に仕えて、
 一方では長寿を喜び、
 一方では老齢を心配するように、
 自分が年老いたときもまた、
 自分で自分の長寿を喜び、
 それを心配するべきである」と。

 養生の心はこうしたところから起きるのである。

                  『佐藤一斎一日一言』より

 
  「致知一日一言シリーズ」





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