2007/8/12 日曜日

救急入院と手術

Filed under: エッセイ,骨折日記 — patra @ 17:54:07

救急で入院する患者さんと紹介か予約を取って入院する患者さんの大きい違いは、事前に先生と患者さんとの間に或程度の信頼関係が築きあげられている点だろう。
自己血液をあらかじめ採取して置くとか、たとえ糖尿等の余病があっても、血糖値検査やカロリー制限などの対応で皆さん安心して膝関節や人工股関節の手術を受けていらっしゃる。術後を想定し包帯のまま車椅子の乗り降りやトイレでの方法など訓練を受け、どういった手術を受けるか!のヴィデオまでも見せていただけるらしい。車椅子を自分で練習をして手術日まで自習するようです。

緊急で入った私は運が悪く連休だったので丸3日放置され4日目に手術となりましたが、早ければ早い程、骨には良い手術がこうして遅れたことと整形の担当医が全く先天性ミオパチーという筋肉の弱くなっている病気を知らなかったこともあり、術前のカンファレンスでも私とちょっと揉めました。
若い先生は骨を繋ぐことは出来ても患者は、もう歩けないだろう!と端から決めてかかる言動がめだちます。おまけに「息子さんは若かったから歩けるようになったんでしょ、イチダさんはもう年齢はお婆さんなんだから・・・」を何度も繰返す始末。そりゃそうだけど自分では全くそんな気がしない。
私は下手すると40代後半に間違われるが今は髪を染めていない自然体なのでカルテの65才にみえるのだろう!「お婆さんは80代を指すのよ!」と同室の70代のご夫人まで憤慨するのには笑えました。
「歩けないよ!」と決めてかかってる先生に手術してもらうって、しかし不安。もしリハビリに入ったら靴が無いと困るので自宅から持って来てあった室内用の踵の高いサンダルをお見せしながら「私は先生が思っているより細胞が若いので靴を作れば大丈夫、歩けますから、早い時期に靴を作ってください」とお願いするがヒールで歩いていた障害者を想像できないらしい先生は返事さえしない。ヒールを常用するってことは足の裏側、両側の筋肉を凄く鍛えていることなんだけど。つまり14才から鍛えていたことになる。

手術の当日、メモ日記には天気がどうだったかも一切記載が無かった。余裕がなかったのだろう。救急で入ったせいか禁食の札を置いてからはあまり看護師さんも来ないので、ならば!と自分で、脱脂綿に薬用エタノールを含ませ神経質に手の届くかぎり拭きまくる。大腿骨だと剃毛も必要ないらしいので助かったが。浴衣が着れないので両袖に腕を通し前に羽織るだけにします。
いよいよ担架に移ると言う時、若い看護士さん独りだったのでベッドのまま手術室へ行っても良いでしょう?どうせ向こうで乗り移るなら2度手間だし・・・とお願いしたらスンナリと意見が通ったのに驚いた。きっと彼女も独りで移す自信がなかったのでしょう。後からヘルプに来た同僚も「あ、ベッドの侭?」と言ったきり納得してました。

ベッドごと移動しエレベータに乗るまであちこちぶつかりながら手術室へと降りる。何重ものステンレスのドアをくぐるとカリスマ麻酔医の大柄な女医さんと他3人ほどがキャップやマスク、緑色の長い手術着で完全武装し恰好良く並んで出迎えてくれていました。多分私が今まで見た限りでは一番綺麗で大きい手術室だと感じました・・・ここで病棟の看護師さんからバトンタッチされ冷たい空気の漂う前室でエイヤ!と担架にうつされました。

ちょいと盗み見たかぎりでは近代的、いや宇宙的くらいモダンな広い空間に冷たい手術台が点在するようです。目隠ししてもらい肩に打たれた注射のせいでボンヤリとした意識で「よろしく」と声かけるのが精一杯の私に女医さんの声が重なる、自信ありげな声だけを聴いているとどうもクラシック音楽も流れています。台の上げ下げも全てシステム化されているようで女医さんがナビゲーターのように張り切って声を出していました。
横向きが中途半端にしかできない私の背中を冷たい液体が広げられ、観念するしかありません。
「はい、もう半分まできましたからね・・・」「はい、もう八分目・・」と声かける女医さんが物凄く力を入れている感じがする・・・入らないのです、針が。八分目ですよ〜はい、もうすぐですから・・と言う声を何度、聴いたことでしょうか?

そして突然、担当の外科医の声が「もう来た?・・」ここから意識が眠りモードにはいりました。

「これは多分鉄分が沈着したかなんかだと思うよ」と私の左甲の古傷の話しらしい・・・
「器具が足らないのを取りに行ってる間、中断してたけど多分本人は眠っていたので気がついていないと思う・・」と声がする。怖くなった私は黙っていれば良いのに「起きてます」と声を出したのです。「あら」とかなんとか女医さんが又ちょっぴりブロック麻酔を追加したせいで私の右手右足は猛烈に痺れ寒さで下顎まで震えてしまいました。

目がさめるまでクラシックに合わせタクトかなんかを懸命に振ってたのか?大仕事した後のように疲労困憊していました。
何時間かかったのかも解りませんが気がついた時は寒い寒い・・と叫んでいました。「終わりましたよ」と女医さんの声に「先生、麻酔、入り難かったでしょう、すいません」とお伝えすると「私は頑張りましたよ」と力強くお答えくださった。かたじけない。迎えに来てくださった病棟の看護師さんは今度はベテランらしく電気毛布で暖め更に布団を重ねてくれました。ベッドに私を移すのに3、4人がかりで移動させてくれました。

1度も部屋に来なかった婦長さんが「何でこんなに時間がかかったのか?と思ったら、え?両足とも手術したの!?知らなかったからどうしちゃったのかと思って心配しちゃったわ〜」と煩く騒ぎながら「初めまして〜♪ご挨拶遅れましたが..婦長の〜」やたら黄色い声に私はそれどころじゃなく寒かったので顔にタオルをかけたまま「今、お話したくありません」と拒絶してから心の中で管理責任のある婦長が当日の手術に関し何も調べておかないのは、手落ちだろう・・・と良い印象を持てなかったが4月には病棟を配置変えになりました。

暫くしても未だ寒いのでみさちんから貰った熊さんのあんよのような分厚い靴下を側に置いておいたので誰となく・・
「靴下穿かせてください」とお願いすると「え?この足のどこに穿かせるの?足んとこの包帯にでも乗せとくか!?」と担当医の声。続いて「今のうち動かしちゃおう。まだ麻酔効いてるからさ〜」とか何とか無礼千万な事を看護師さんと言いあっている。
電気で冷やした右足は膝が物凄く痛く、左の下腿骨は動かさなければ何とかなったのに枕の入れ方が手荒でへたくそなので一気に病院点数が私的には落ちました。

2時間置きに血圧と体温を計りに来る以外痛みと闘うのは自分自身しかできない、私の側に足音がするたびにお隣やお向かいが、寝返りを打ち溜め息をつかれるのが心苦しい、かといってどうしようもなく長い夜が、この時ほど恨めしかったことはない。

座薬と肩に痛み止め1本で凌ぎました。
翌日花を持って姉が来ました。10分だけ・・・そう長居は病人には無用です。


  1. patraさん、よく頑張りましたね・・・・
    先天性ミオバチーという病気を始めて知りました。
    よく分らない私が、大変ですね〜と言うことは失礼と思います・・・
    が、努力、頑張りのpataraさんだから、

    乗り越えられたことでしょうね。
    私も手術の経験がありますが、
    どうして手術室はあんなに寒いのでしょう・・
    がたがた震えました。

    肉体的精神的に弱っている患者に対しての
    医者の無神経なひと言が、
    どれだけ心を傷つけるかわかって欲しいですね。

    patraさんと私は同年代でした。私は申年です。^^
    それにしても痛み止めを使わないで・・・・すごい!!

    コメント by sakura — 2007/8/12 日曜日 @ 23:38:17

  2. sakuraさま,暑い毎日でお手上げ状態の我が家と猫たちです。
    手術はたいした事無いと伺っていたのですが、膝まで金具を入れボルトで留める・・・
    はどうも途中で変更したようです。
    骨が薄く脆そうだったせいでしょうか?このボルトが後々当たって痛むのが大変なんです。
    リハビリは翌日から始まりました。持続は力なり、・・全く上がらなかった足が遂には上がった時に実感しました。

    申年うまれ♪素敵!一生お金に不自由しないそうですよ〜
    まだお婆さん!と呼ばれるまで20年もありますよね(笑)お互いに永遠の女学生で生きましょう。

    コメント by patra — 2007/8/13 月曜日 @ 13:35:34

  3.  大学・大学院と「医者−患者関係」をテーマに、研究をしていました。
     「患者」を「患者様」と言い換えたりしていますが、根本的な、医者と患者の知識・権力(?)関係の、不均等は変わっていないのだろうと思います。

     まぁ、それはある意味で、当然のことなのかも知れませんが、医者あるいはパラメディカル(看護士・各種医療専門職)の意識は、一朝一夕に変わるものではないのでしょうね。

     今後の治癒とPatraさんのQOLの一層の向上を祈らざるを得ませぬ。

     残暑(というか、残暑どころか猛暑ですよね)厳しき折、くれぐれも御自愛下さいまし。

    コメント by 酔仙亭 — 2007/8/13 月曜日 @ 14:34:27

  4. ヨクヨク考えてみたら,救急患者は[助けてくださってありがとう〜」と医療関係者に感謝し続けないと彼等の疲労に報えないのかもしれませんね。
    凄い過密なスケジュールを縫うようにして,否応無しに差し込まれる救急体制にも問題があるとみました。たらいまわしにされないで良かった!と思うべきでしょう。

    目下、台所に立ってる時間を少しづつ増やすべく努力中・・・
    身の回りは快適です。ヘルパーさんに助けてもらいつつ上手に暮らせていますよ。ありがとう♪
    しかし・・・暑いかも・・・かき氷で冷凍庫は満杯です♪。

    コメント by patra — 2007/8/14 火曜日 @ 0:23:21

RSS feed for comments on this post.

© 1999 - 2023 Patra Ichida, All Rights Reserved.