2004/9/8 水曜日

痛みの伝えるもの。

Filed under: 日々雑感 — patra @ 9:02:28

こんな事を書くと、え?っと心配されても何だけど、ええ、タマには心配させてみたいのです、・・・なんてもちろん嘘です。一晩中、家の中の建て具、南風に揺れて鳴っていましたね。嵐の影響です。が、私の豊か?な想像力では天界の村田おじが、一人取り残されていた村田おばを、涅槃に迎えられた事を喜んで、二人が風になって飛び回っているようで、障子のぴりぴりと鳴る音を、私に何か囁く声かしらん、と耳そばだてていました。声無き声を聴くことがある私です。
そしたら急に背中の右後ろ、膵臓あたりがシクシク・・と痛みはじめたのです。「そんな膵臓も脾臓も痛みを感じる所じゃ在りませんよ」と笑われそうだけど、そうやって危険信号をキャッチするのが好きなんですね。なので徹夜を中止、ベッドに横になって風のお喋りを聴いてました。

最近は座って文章を書くことに戻したので、あの恐ろしかった足の痛みと浮腫みが綺麗に消えて、それはそれで良かったのですが、座ると立つのが面倒になる...横着ぶりで、トイレが遠のく。健康に一番悪いことですね。「そうか、これだった!」と納得したら朝、きれいに痛みが消えていました。原因と結果・・この夏、暑かったせいでハイネケン、二缶の摂取が響いているのかも?と反省したのです。まったく養生と言う事をしないで肺気種となり電柱に掴まって喘いでいた姿から1週間で逝かれた村田おじは大磯の吉田茂邸の盆栽、一手に引き受けていたお人です。
頑固一徹、岩のようなお人で子供が嫌い、だから御夫婦は一人も儲けずにいたのです。何かの折りに大宮の盆栽村「九霞園」に母と遊びに行った時も、ぎょろりと大きな目玉で睨むだけ!煙管の煙りをくゆらし一言も喋らない。
変な人だな・・・と記憶してました。後で漏れ聴いたところ「子供は盆栽の枝を折るからきらいなんだ・・・」と徹底してました。
職業に殉じた人、それだけに一人残したままの叔母、迎えられた喜びを伝えにきた風の音だと考えるのがたのしい。故人を懐かしく思う時、何かしら気づかせてもらえる。これが私の御供養の仕方なんですね。『摂生と自己管理』そういえば、この夏、息子にも何度も注意されていたのだった。


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