2004/9/6 月曜日

渇餓。

Filed under: 時事 — patra @ 3:41:51

こんな文字は実際には無いのかもしれない。が、お釈迦さまは、この世の中で一番辛い地獄の苦しみとは、渇き餓えることだ!と説いている。
この渇き(タンハー)こそが地獄の苦しみだと・・・。
暑いインドでの厳しく永い日照りを指しての事だろう!と思われるかもしれないが、本当は意味が違う。
渇きについてのみ引用してみると戦後、断水の苦しみから用水バケツの汚水まで飲んだことのある私は渇きが我慢できる代物じゃない事を幼心に体験しているのでチェチェン武装勢力(テロリスト)の恐ろしいまでの無慈悲さには胸が詰まった。

映画、「戦場のピアニスト」でも汚れたバケツの水を飲むシーンがあったが、冬でさえ渇きには絶対に勝てない、泥水だって何だって飲もうとするだろう。
3日間の地獄を味わった幼い人質達、裸で救出された少年のオシッコまで飲んだ!その一言が胸に刺さった。生きるとは、そういうことなんだ!と思う。

人間だけがこれほど残酷なまま、陣地争い(発端は18世紀後半のロシアとチェチェンの領土争い)ばかりして一向に学ばない生き物なのか!と思うとこれから長生きするのがむしろ辛い。怖いことはもう十分すぎるほど見てきたんだから地球人全部がシフトしないと恥かしい。

追記
このタンハーは漢訳経典では「渇愛」と訳されるそうです。ちょとこれでは生温いし比喩が違ってきますので敢て造語の「渇餓」にしてあります。


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