雑記、五目つれづれ

料理嫌いの母がゆうに十人分を越す酢飯をまぜられる大きさの寿司桶を持っているのは意外な感じだが、じゃあそれでご馳走をいっぱい作ってくれたのかと言うとまっかな嘘。
私が高校生の頃、なんとか家を建てることができた父が何をトチ狂ったのか、職人さんや親戚を招いての新築披露に寿司職人さんをわざわざ呼んで寿司を握ってもらったことがある。板前さん持参の桶が足らなかった為に急きょ購入した産物である。
なんとも身分不相応な趣向の宴会は、安普請な家に不似合いな事件だった。しかし当時82歳の父方の祖母、おなをお婆さんはその趣向を大層喜んだ。
料理下手な母をかばっての父の苦肉の策なのだが、何かしら漫画チックなオチがつく我が家だ。食べ放題な出張寿司に興奮したのだろうか、祖母はその夜お腹を壊した。食べ過ぎてしまったのだ。気の毒に1週間も寝込んだ。

息子kyoの端午の節句以来、めったに天袋から降ろさなかったそのお大きい桶をここ1〜2年は頻繁に降ろしている。
新聞紙を破って取り出しては水で洗い、ご飯粒がつかないように酢で木肌を湿らせておく。
あめ色の木が弛んで隙間ができてしまっている所に割り箸が刺してあるのは、フランス留学から戻った息子の為にと十年ぶりに開けてみたらひび割れを発見、居合わせた助手君が補修してくれた賜物だ。1987年頃だっただろうか・・・
そんな事を思い出しながら明日パリから戻る息子達のために五目寿司の具を用意しているとTVで昨日完成披露があったばかりの六本木ヒルズのニュースが飛び込んでくる。
私の事務所を辞める前後、助手君の実家がテレ朝道り沿いに在り、その地区一帯が森ビル開発のために吸収され立ち退く事が決まった等と話していた、その六本木ヒルズがいよいよ出来たのだ。
森瑶子さんが作家になる以前に住んでいた近辺である。その辺りに事務所を構えていたカメラマンなども次々と住居を移しはじめていた。完成するまであれから10年もの月日が既に経ったのだ。
ぼんやりしてても巨大プロジェクトはこうして着実に出来上がっているのだ。
広大な敷地に公園が何ケ所もあるそうで羨ましい。バブル絶頂期の企画だから不況下の今では贅沢すぎる気もしないでも無いが、一部屋百万以上もする賃貸に応募者が殺到した、と聞いて更に驚きつつせっせと五目寿司用の野菜を切る。

蓮根は薄く、酢水と少々の塩と味醂で酢蓮に、蓋はしない。パリっとした歯ごたえを残すためには蓋無しで炊く事。汁に粘りがでたら完成だ。
人参の千切りと椎茸の千切りは一緒に炊いても差し支えないが、人参だけは一度茹でこぼす。
この時、生椎茸と一緒に干したドンコ椎茸も水で戻して混ぜてみる。干し椎茸は断然香りが良いから・・・戻し汁ももちろん捨てずに使う。
ドンコだけ、なんて贅沢だからしみったれに生椎茸と混ぜるのですよ、庶民は、と心の中で愚痴ぐち。
味付けは出汁と醤油、味醂で煮含めて多少の汁気を残すまでにトロトロ・・と、炊き上がったら一晩置いておく。
煮る・・は関東、炊く・は関西の表現だけどなぜか野菜は炊きあわせ・・・と言うほうが美味しそうな気がするのは私だけかしら。

TVを付けて聞き流しながら台所で働いていると夜食に起きて来た老父は必ずそのスイッチを黙って消す。事務所の門灯なぞ付けておけば烈火のごとく怒るのに自室の暖房は付けたままドアを開け放してて平気な人だ。
私の提案で手提げしきの竹の豆腐篭にしてから、やっとお盆を落とさなくなった父はスキムミルクをお湯で溶いたマグカップを自分で篭に入れ・・・冷蔵庫からヤクルト2本、バナナを正確に半分に切り後はパンを焼いてレタスとチーズなどをゆっくりした手つきで篭へ放り込むと彼の最後の儀式の溲瓶を一緒にもって2階へあがります、パン屑やレタスの切れはし、剥いたチーズの銀紙は散乱したまんま、無言で一歩一歩慎重に階段を上がる老人の臑が真っ白で健気で憎めません。
おやすみ・・・と声をかけてもどうせ聴こえないので無言で見送る。

父の後ろ姿が消えると又すぐTVを付けるチャッカリ娘の私にはこの時間、夜11時ころからやっと全ての音が適正な静けさとなるのです。耳が悪いのに補聴器をつけない我がまま老人がもう朝まで降りてこない時間は貴重。

イカの酢漬けにとりかかります。これは新鮮な物を皮だけ剥いてさっと茹でてから水気を拭いて千切りにし生姜と酢(塩、味醂少々)につけるだけ。
小柱を生で入れる流儀が我が家の味ですが、この日は入手できなかったので其の代わりに試みる。
イクラは母以外(尤も彼女は好き嫌いがない天晴れ者だが)、全員好みません。
残り物の根三つ葉があったのでこれも茹でてイカと一緒に酢ずけにし、味の染みた翌日、一緒に細かい微塵にします。

蓮根も煮上がったら微塵に刻む・・・シャキシャキ感を残しながら老人でも楽しめるように!と具を細かく切る工夫をしたら、これが意外に若い人に好評だったので、すっかり定着。

家事嫌いで料理下手な母に息子を預けて働いていた頃、青山から戻るたびに呆然としたほど荒れ果てた家が息子の事故を招いたのだろうか?
新築時には、珍しい寿司の出張板前を頼んだ事もあったなんて全く信じられないくらいの没落ぶり。 劇的?とはいかないけれど人間の住む家・・・に変えたのは私の人力なのだから無駄な20年では無かったと思いたい。
整理や改造をしようとすると「俺が死んでからにしてくれ!」と言って聴かない父の頑固には泣かされた。
第一恥ずかしい方が先立って、もう必死。捨てる掃除する整理のくり返しを黙って続けて20数年でやっと納得させた現在が二人の老人の元気に繋がっている。
親不幸と言われても不要品を処分して良かったと思っている。第一いまだ健在なんだから清潔に住むに越したことはない、あとまだ捨てたい・・と言うと「ふん、私達を捨てたいのでしょう?」と憎まれ口を叩かれるので時間がかかってしまうのです。
そう言う私もジャンクなガラクタ好きを反省せねば・・・。
掃除機を絶対に手にしない母のかわりに何十倍もの汚れた空気を吸っただろうか。
どんなに綺麗にしてもしっかりと汚してくれるけど元気な証拠と割り切ることにして、もはや叱る元気もない。
肺癌かもしれない?と自分で自分を疑うこの頃だけど、一体この家は私が死んだらどうなるのかしら?と言った途端、「全然平気!」と母が切り返してくるしまつ。冗談じゃない、下手すると本当になってしまいそ。
何回こんな事考えながら料理をこさえた夜があったかしら!と思わず声を出して笑ってしまった。つまり終わりのない繰り返しの日々にめげる夜もあるわけだ。

翌日酢飯を作り、「これは得意よ!まかせて」と引き受けた母が見事なまでに武細工なぶ厚く焼いたご愛嬌錦糸卵、炒り胡麻沢山、絹サヤを色良く茹で千切り、絹サヤも普段は切り三つ葉を生で細かく散らすのが痛まないので私流ですが今回は大橋歩さんのレシピを参考にしてみる。

酢蓮、人参と椎茸、イカと根三つ葉、錦糸卵、胡麻。紅ショウガ、海苔、茹で海老絹さやを用意して今回は寿司桶に飾って一丁出来あがり木の蓋をして出番を待つだけ。

「あと四十分で着きます」の電話に慌てて玄関に電気を付けるケチ老人父や「お刺身、きれいに盛ってちょうだいよ」と買い出し担当の母が騒ぐ。
落ち着かない猫たちが椅子を上がったり降りたり、我が家の接着剤のような役目の若夫婦を待つ。ノックの音に全員が狭い玄関にひしめき合いながら笑い顔でお互いを見合うのです。だれ一人欠けることなく出迎えられた儀式に照れながらも口々に声をかける・・・

手を洗いうがいをした二人の若者は、出張寿司でお腹を壊した件のご先祖曾祖母がその昔、普請祝いに買ってくれたままの古びた小さい仏壇に健気なフミちゃんに促されてまず揃って無事の帰国を祈ってから、「うまそうだね〜」と目を輝かせ喰うぞ〜とばかり椅子を引き、母と私はいそいそとお汁の火をつけたりお皿を手渡したりと立ち働くのである。
事、若夫婦に関しては露ほどの諍いもないのが我が家。
平凡ということは何と斯様に地味続きする事か、と感謝しつつ。いただきま〜す。


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