卒業ねこ 母になる

パリから日本にきてあっ・・と言う間に6年が経ち、堂どうたる貫禄と気品が備わった美猫に成長しました。
妖艶なんですねこれが・・・ただものでは無い!・・・と言う感じ、の看板娘ぶり。
ところがです
窓の外を眺めている後ろ姿が妙に寂しそうなのです、原因は分っていました。
「此の侭 子孫を日本に残さないのか?」と息子は責めるしお見合いは失敗するし・・・
獣医さんの所で写真入りのポスターを貼ったり努力はしていましたが反応は無し。
恋愛に至るタイミングがズレるのです。
娘盛りを過ぎてお茶目もしていられないしと気取っていると
逢う人毎に「太ったわねー」の一言、これが傷つくのよ・・・と無言の抗議でごろ寝を決めている。
こんな悪循環な人生に誰がした、、と背中は語っていましたね。

私がしたんです、ご免ごめん。 考えてみると外に出さないなんて本当は不自然ですよね
車が心配、迷子が心配、蚤ダニが心配なんて全部私の都合だもの
引き綱なしで出す事に決めました。 噛み付いたのもストレスに違いないし。

永年の習慣は恐ろしいもので時既に遅し 私と一緒でなくては外へも出られないのです。
ゴミ出しのお供に前後して露払いの様についてきます
車道へは絶対にでません
何処までも後ろをついて来る姿は近所でも評判になるくらいの従順ぶり!
父が刺身で釣ってもプイの愛想なしに成り、誰にも懐きません。
どうしてもお留守番して欲しい時は実家に預けます
尤も3階から1階に移動するだけですが、鳴いて嫌がります。
玄関先で私の帰る気配を感じ取るとピタッと座って待っている姿はいじらしい位だと母が報告してくれます、遠い外国で頼るのは私だけだった孤独な6年間。
責任の重さを痛感しましたね。
子鴨の親子どころではない。 前世の御縁は濃いに違いない。

近所は大きな病院やビルばかりで住宅が殆ど無いせいか猫は野良がほんの数匹だけ
黒白のボス猫と私がお坊さん、と呼んでいた片目の年老いた黒猫だけです
2匹はあきらかにココを意識してジリジリと距離を近づけお互いに牽制しあっています

恋の芽生える相手としては2匹共役不足ですしココは知らんぷりです
子孫は無理だねーと家中諦めモードになった年に、
神戸大震災、サリン事件の騒動でTVに釘づけだった頃ココが妊娠していたのです

お相手はお坊さん、墨染め衣もよれよれで、片目、しかも年寄りの野良猫は声も
上手くは出せないほど老衰しており、母が入退院を繰り返していた時期でもあったので
お布施の意味で御飯をあげていたのです、苦業僧にしか見えなかったなー何故か。
お坊様も往生間際に美人に心迷ったのでしょうか? 我が子を見ずに此の世を去りましたが、お互いの孤独感が一致したのでしょう、ボス猫の求愛を退けたココの愛の選択には悲壮感が漂って中々の美意識でしたよ。 年の差、環境の差どれもが悲劇的で恋の始まる要素はタップリ・・・違うか?

高齢出産だと獣医さんが言うので3月14日、帝王切開で3匹生みました、
うち1匹は死産、黒毛の女の子は60グラム、黒白の男の子は100グラムに欠ける未熟児でした。
これも私の責任です、太り過ぎていたので生み月を早まったのでした。
獣医さんは育たないと思ったらしく翌日返されました。
ココはお腹の傷口が痛いのでしょう子供には見向きもしません
私は必死に2匹を胸の中に入れて暖めました。 24時間離さずに、スポイトでミルク飲ませる時もガーゼの袋に入れたまま肌から離さず、祈るような気持ちでした。
38時間位経ってから急にココの声が変わりました。 グルグルと実に優しい声を出して子猫を嘗め始めたのです、昨日までは唸り声を挙げて威嚇して居たのが嘘のような優しさです。

奇蹟でしたね、我が儘娘が母性に目覚めた瞬間を見ることができたのは。
それからのココは素晴しい母親ぶりでしたよ。
篭から出ずにオッパイを飲ませ続けるのです、食事もトイレも行かず頑張るの姿に私もお皿に鳥の笹身を載せてココの口元まで運んで協力しました。 
すると感謝の目でココが私を見上げるのです、1ヶ月はそんな子育てが続くうち、腰が抜けているような情けない感じのチビ達が凄く元気に成ってきました。

綺麗な黒白はチップ兄ちゃん、黒光りの美人はクララと名付けました。
3匹がもう二度と離れないぞと約束したように一固まりで幸せのオーラを放っている様子は、父さん猫のお坊さまに守られているみたいでした。 子孫はめでたく残ったのだ、その代わり2度とお坊様は姿を見せなくなっていました、仏様だったのかなー。


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