卒業ねこ

外出から帰ると、玄関の上がり框にエールフランスの手荷物タグを付けた、バスケットが置いて在った。
中には、仔猫が一匹。 予告無しに突然、息子が帰国したのだろう、当人の姿は家に無かったが、二階から降りてきた父が、「さっき、キョウ君が帰ってきて置いていったよ お腹壊しているから、餌に気を付けてくれってさ、何処か、その辺に居るだろう?
「僕、倫敦亭見てきます」 その当時アシスタントをしてくれていたN君が気を利かせて外へ飛び出して行った。 慎重にカゴをテーブルの上に乗せる。 逃げ出さないようにドアを閉め、紐やミルクや皿などを大慌てで用意している間中、カゴからちいさな手をだして、盛んにミウミウ啼いている。 片手の上に乗る程小さな黒と白のタキシード猫だ。 逃げようと暴れてピンクの小さな爪を立てるのを無視してひっくり返したり持ち上げたりして調べた結果、生後6週間位の女の子ネコだと判った。お腹と手と足、顔の先は真白でそこ以外まっ黒くろすけの雑種だ。 息子は今年の6月ベルリン旅行の帰り肺気胸を患いパリで手術をうけたのだ。 冬のパリが病後の身体に厳しいだろうと予測していたので不意の帰国も驚きはしなかったが、仔猫のバスケットさえ重かったのでは?と訝る気持ちと何故手荷物タグが付いて居るのか不思議だった。 ネコって機内持ち込みを出来るのかしら?

「あー心配ないよ 一機に先着1匹は手荷物で認められているのさ エールフランスに友達のスチュワーデスがいるだろう 早めに予約しておいたんだよ」 家の側の倫敦亭で友達と友情を確かめあっていた息子はN君に連れられて戻って来ると事もなげに言った。 久しぶりの息子はいちだんと痩せてはいたが思ったより元気そうだった。 
「人なつこいよ、ミルク飲むと下痢するから飲ませないようにね。 腸が弱いらしいよ。」 私は慌ててミルクの皿を退けた。 えっ、では一体なに何食べさせるの? 此の子日本語わかるの? 然しなんと言うカワユさよ。 抱き締める私。 
「もう1匹お兄ちゃんの猫がいてさ、鼻水垂らしたお間抜けな奴なんだけど、兄妹別れ別れになるのを感づいてるみたいで、余程一緒に連れて帰ろうかと思ったよ、オイラは?ってさ、、、目が訴えるんだよ」
「駄目駄目!2匹なんか!わーお帰りキョウ君元気だった?」 賑やかな声が割り込む。 お使いからもどった母が久しぶりの孫とハグ(抱擁)して喜びあう、年寄りは声がおおきいのだ。 大声に驚いた仔猫は肩から私の頭の上によじ登りミウミウと必死で逃げ場をもとめている・・・取ってくれ!状態だ。 N君が慌てて猫の手から私の髪の毛を解放してくれる。 
「勿論あきらめたけど・・・なんか涙を誘ったよ。」 赤い紐を首にむすんでやりながらヨシヨシお兄ちゃんの分まで可愛がってあげるからね、と心の中で呟く私。 
「3階で飼うんでしょう? 下は嫌よ」 母の嫌制球が飛ぶ、「勿論!。」 やれやれあれほど猫の途絶える事の無かった我が家なのに、老いの兆しか知らん? 今晩からはずうっと一諸だからねと鼻と鼻でご挨拶。
「このこ名前は?」
「サヌフェリ"ヤン。」
「何それ?なんて意味?」
「あ〜ら、何でもないわ・・・さ」
「サヌフェ・・・却下!きゃっか! 長いもん、可愛子ちゃん、あんたは今日からココシャネルのココでーす」 
翌日獣医さんへ連れていく打ち合わせをして早めに事務所を閉め、その日の茶の間は久しぶりに賑やかで私と母であり合わせを工夫して食卓を整えると、何時も母だけを相手に晩酌する父が断然上機嫌で「おいこら、猫すけ! 刺身くうか?」 等と言っては「駄目!!だめ」と母に叱られていた。 
4年の予定が早まった息子の帰国だが当人の考えも有る事だろう、其の事には誰も触れない、4年前愛猫のしずか姫を亡くして以来立ち直れ無かった私だが、今日はしずか姫に悪いという気持ちは消えていた。 時は全てを浄化する。 
久しぶりの猫で話題が盛り上がり、犬は多いのに猫はそれほど見かけないパリの街事情を憶測したりして楽しんだ。 
早寝の父母が2階へ上がり、後かたずけを終えた私が愈々自分の3階に上がろうと靴を履き替えている時、代わりに仔猫を抱いていた息子が真顔になり「夜中一寸出かけるけど・・どうせ眠れないし。」 時差の事を言っているのだろう、鍵ちゃんと掛けてよ!と念をおし乍ら手を差し出すと、
「いろいろと心配をかけたけれど、僕はもう大丈夫だからこれからは、この子を可愛がって下さい。」 仔猫の両脇の下に手を添えて前足を胸の前で重ねると親指で頭を押さえてペコリ、と仔猫に頭をさげさせた。 
猫を受け取り私も真似して「ヨ、ロ、シ、ク、」と挨拶させた。 観念した様に大人しく神妙にされるがままのココが可笑しかった。 
こうして猫と引き換えに自由を手にした息子は私からほんの少し解放され?寡黙な青年と成り、一方サヌフェリ"ヤンなココはのけぞりものな甘えん坊となり昼夜かまわずにしがみついてくる有り様で私は外出も困難となった。


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