花の色

嬉しいことに、花はよくもらう。 殿方からももちろんだけれど、女性からプレゼントされるのはすごく嬉しい。 同性から無条件に受け入れられたような気持ちになって安心するからだ。
自分の好みの花など初対面のかたから送られようものなら諸手を挙げてその人を信頼してしまう、全面降伏してもよいくらいおおげさに。
いいかえればそんなことは実に稀ではあるが。

昔はなぜか赤い色の花、たとえば薔薇、ガーベラ、ポピィ、アネモネの赤、をよく贈られた。 アマリリスの毒々しいオレンジをおくられたときはふ〜っと溜め息をついて自分の与える人への印象に自信をなくした。 もらっておいて文句をゆうつもりはないが、あまりの色に怖じ気づいたのだ。 
お礼のついでにあれが私の印象なの?と質問したら『エッ!アマリリス好きだって言ってなかった?』と電話口で吠えていた。 しまった、白のアマリリスに限る!と言うべきだった。 おなじ花でも色でまったく印象が変わるものなのだ。 白いアマリリスしか知らなかった私、オレンジしか見たことのなかった友人。 笑い話である。 可憐な名前に似合わず大きな肉厚の花。 仕事柄多くの花も扱ってきたが、すべてに精通しているわけではないのだ。
ある花の話をしてみたい・・・。

スタイリスト時代の最後の7年間、体力の限界を感じはじめた私は助手をはじめて男性に切り替えることにした。 車の運転をしてくれること、荷物の運搬を一人でこなせる体力があること、用心棒もできることの統べてをクリアしているとの触れ込みで知人が連れてきた青年は、みかけは小柄だが大学の相撲部出身のような強面の23歳でハッキリいって断りたかった。
しかしスタイリストという一見軟弱な職業に就職希望の青年は、どちらかというと女っぽい子が多く、それならいままでどうり女の子でいいわけだ。 肝心なのは私を引っ張りあげる体力なのだ。 撮影現場はたいがい平台にセットが組んであるのだが、まれに90センチ以上〜2メ−ターも高いところに組まれている場合、脚の悪い私は上がったり降りたりの多い撮影が苦痛になって体力を消耗する。 細いくせに鉛のように重い私をさりげなく引っ張りあげるには女の子ではもう無理になっていた。
その青年は舞台役者志願なのでいわゆる定職に就くのを嫌い、こちらの提示したさして多くもない給料に「充分な額と存じますので・・」と回答してきた。 その言葉遣いに圧倒された。  今までの業界はぞんざいな言葉がフレンドリーと勘違いしているような輩ばかりだったから、新鮮だった。
23歳で「存じます」をサラリと使える人間ははじめてである。 20 歳だった息子に報告すると「ほ〜っ」と唸った。 後日聞いてみるとNHKの子供劇団に所属していたことと合気道の有段者であるとのこと、どちらも一番に礼節を教え込まれるそうだ。 納得。 
絵作りはすべて私の担当(あたりまえ)、渉外と返却はN君でスタートすることにしてみた。 テスト期間を設けてみたのだ。
ところがN君が事務所に来るようになってからたて続けに3本のCFを断らざるをえなかった。
どれも下着メーカーのものやヌードを必要とする物ばかりであるのに、急に男性アシストにかえた私は自分でとまどった。 この仕事がいかに女性を必要としているものであるか、改めて考えると頭が痛くなったからだ。 慣れない若者をつれてゆける現場ではない・・・と勝手に判断したのである。

当たり障りのない小仕事をこなしつつお互いに無口な気まずさがひろがっていった。 人選を過ったと感じはじめ、事務所へ行くのも憂鬱になっていた。

アルバイトの女の子が辞めるのをきっかけに
「君も辞めますか?」と水をむけても大きく頭を振って
「とんでもないです、何でもやります」とくる。 熱意はあっても不向きもあるわい、と心の中で独りごちながらタイミングの悪さを呪ったりした。 車やデパートのカタログ、紳士服などのレギュラーがパタッと途切れた事も影響していた。

2月の税務申告も統べて自分でしていたので閑をよいことに経理ノートの付け方や計算の仕方を教え、モデルクラブのアドレス帳の整理などで時間を潰している内はまだ良かったが、いいかげんすることが無くなってきた。 3本も断ればあたりまえだ。
憂鬱な日常生活。 忙しいときに憧れていた閑な時間がひどく辛いのだ。 貧乏神を拾って来たんじゃないかと内心溜め息の連続だった。 最初の目的をコロリとわすれて他人のせいにする性悪女になっていた。 そんな自分が嫌でますます事務所を避ける悪循環の日々はちょうど血液が逆流しているみたいに落ち着かない。 
黙って事務所の掃除をしているN君が自発的に辞めてくれないか、祈った。 これといった仕事をまだしていないので辞めさせる理由がないのだ。 

そんなある日、こんな事ではいかんと思い気分転換に食料の買い出しにでることにして、車をだすよう内線し久しぶりに事務所へ降りてみた。
渋い顔をしてドアを開けるとピシッとスーツを着たN君がカウンターの所で待機していた。 にこにこしている。 いまさら笑うわけにもいかずそのままのブスッとした態度で行き先の地図をわたす。 
ふとカウンターに目をやると細長い箱が置いてある。 白いリボンが掛かっていた。 
「?」と目で見てもよくわからない。 振り向くとN君が
「おめでとうございます」と言うではないか。 
とっさに何が?と訝った。 自分の誕生日も忘れていたのだ。

出てきたのは5本の真白い薔薇だった。 胸を衝くおもいがした。 悲しかった。 見慣れた赤い花ではなくその白さがはずかしかった。 
「私は白い花の似合う女ではないのよ」と涙声で言うのがやっとだった。
「では白い花が似合うかたになってください」明るくN君が言った。
本当は白い薔薇が大好きだったが、贈られたことはなかった。 ス−パーへ行く車の中で私は泣いた。 自分を最低だと許せなかったから、後にも先にも花をもらってあんなに恥ずかしく悲しかった記憶はない。 
「むやみに花なんか贈らないでね、来年もあてにしちゃうから、女ってタチ悪いんだから」と憎まれ口を言って誤魔化すのが精一杯だった。 
N君も事務所にきてから3ヶ月どうしたものか悩んでいたのだろう。 
「どうか来る仕事を断らないでください、ワタクシも役者の端くれです、どんな状況でも対応できる心構えがありますから」
胸のうちをすっかり読まれていた。 23歳にして遥かに大人のN君はこうして引退するまでの7年間、私のアシストをつとめてくれた。 大女優といわれる人たちでさえ皆、N君の分をわきまえた仕事ぶりを誉めたほど、徹底して影、黒子で終止した態度は見事だったの一語に尽きる。 そしてその7年間の間、5本の白薔薇は毎年の誕生日に贈られ続けたのである。 
「1本でいいのに、高いんだから」
「お誕生日が5日ですから、5本でしょうやはり」
「じゃあ15日生まれの人だったら15本になるの?」
「それは問題ですね」とN君は笑った。 
思い残す事無く引退できたのもN君のおかげである。 


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