生まれながらのエピキュリアン?

最後の晩餐に何を食べるか考えつつ私の好きな食べ物を思いだしながら書いてみると・・・
『ヒラメの縁側』『サザエの壷焼き』『平貝のお造り』『スッポン』『ふぐ』
  『タンのブフ・ブルギニィョン』『フィレステーキ』『野菜のほとんど』
    『くちこ、、このわたの干したもの』『焙ったアナゴを山葵醤油で』etc...

まるでお大尽の嗜好である。 こんなものを嬉々として食していた時が確かにあった。 下町の3代つづいた江戸っ子である我が家系は確かにエンゲル計数が非常に高いという有り難く無い結果も事実ある。 にしても贅沢な?
子供の頃は戦後だったからロクなものは食べていなかった。 食品が少ないうえに料理の恐ろしく下手な母親に育てられた幼時期は、食べることを拒否することで味覚の侵害されることを防いでいたきらいがどうも、あったらしい(笑)。
誕生日に何をたべたいか?聞かれ「馬鈴薯の茹でたのにバターとお塩」が口癖だったとか。 

見た目と味が裏切られない食べ物は、とにかくシンプルでなければ安心できなかった。 茹でるくらいはいくら料理音痴の母でもできるだろうし、多分いままで食べた食事で一番正しい味だった記憶があったのだろう。 
姉はポークソティーひとすじを母に注文しつづけた時期があったそうな・・。 何を食べても不味いということは無かったのは、素材に頼るばあいの調理法に限って実に上手いのである。 
旬の素材をいち早く食卓に載せる努力はしていたようだ。 父の口癖は、
「下手に料理するな!ナマか、焼くか茹でるか、煮るか、小細工をするな!」だった。
しかし音痴な母は焼くことだって上手だった訳では無い。 焦げるか生焼けなのだ。 安定していることが無い。 スリルとサスペンスの食卓が毎日つづくのだ。 精神衛生上悪い。 
鰺の干物を前にして
「干物というものは焼き色がべっ甲いろで艶つやしてなくてはいけない、おまえのこれは何だ?ナマ焼けじゃないか?」
「あら!じゃもう一度焼くわよ」の会話が50年も続いている夫婦も珍しい。 焼きなおせる場合は救いがあったがカチンと皿のうえで音をたてるに至っては成仏出来ない鰺が気の毒だった(笑)。 そんな事情から食べたいものは自分で作って身を守り出したのは小学6年生頃からだ。 母は寺の娘である。 他の姉妹はみな料理上手であるのに不思議だ。 ふざけているようにしか見えないが大真面目なところが恐い、考えるにたんに下手で味音痴なのだろう。 こんな環境の中で自分の信ずる味覚を育てるのは勘が頼りだった。 怪し気な西洋料理を押し付けられてこの味が正しいなんてどうしても舌が納得いかない。 外国の料理本も読んだが小説に出てくる料理のシーンは特に何度も心に焼きつけた記憶がある。 
父の身の守りかたは凄かった、自分で海釣りをして黒鯛、石鯛、あいなめ、鱚、を釣ってくる事にしたのだ、そして母に出刃と柳刃包丁を買いあたえ、せめて魚を三枚におろし刺身くらい作れ!と夫の特権で命令したのである。 
10年くらいで魚の処理は上達した。 お陰で本を読む以外に母の唯一の特技ともなっている。 
釣り立ての魚を食べる幸せは味覚の発展に拍車をかけることにもなった。 毎夏千葉に海の家を借りる頃になると加えて鰺の刺身やエビの活き作り渡り蟹なども、庶民でも当時はふんだんに手にはいったのだ。 尤も食費だけは素材に頼る?ために我が家としては大出費だったが。 

母かたの義母は後妻さんで関西の出である。 このかたの流儀が私にはカルチャーショックだった。 炊き込み御飯や野菜の煮物の出し汁の効きかたに感動し、和食は関西!と決めたのも6年生くらいだった。 上手いと下手では天国と地獄くらい開きがあった。 枝豆の茹で具合まで義理の祖母は完璧だった。 もうこれは自分で料理して味覚を守ろう!と悲愴?な覚悟をしてお惣菜の作り方から始めて機会さえあれば台所に立つようになったのだ。 
母は独特の閃きは持った人でアボガドやタン、オックステイル等の当時としては新しい素材を率先して購入し、流行する30年も前から我が家の定番なので変なところで大威張りしていた。 完成度を高めるのは私の仕事だが「これどうしたら食べられるの?」と不思議な素材をずいぶんみせられた。 あれは料理嫌いの母の作戦だったにちがいない。 

18歳ころはイタリアンに夢中で六本木にあったシシリアやアントニオで肉料理の味を覚えた。 後年パリ留学をしていた息子はイタリアへ旅した時「ぱとらの料理の原典はイタリアンに在ると見たね、」といってきた。 どれを食べても懐かしい私の味がしたそうだ。 確かに!香料の使い方からなにからシシリア、アントニオ、キヤンティに通って覚えた味なのだ。 

友人が政治家の秘書をしていたおかげで一見は入れない京都の名店に予約をしてもらい、「究極のひと皿」なんてのもスタイリスト時代には経験したが、基本はシンプルが一番だった。 
フランス料理を始めたのは仕事が閑になって時間だけはたっぷりあるのに困ったからだ。 正式に料理を習ったこともないので本を片手に朝から晩までソース作りやパテ作りに励んだけど感想はやっぱりシンプルなものは飽きがこない、ということだ。 ひととおりマスターしたら気が済んだ。 

三国清三名シェフと仕事でご一緒したことがある。 生まれ故郷の北海道の海で捕れたての貝や魚を生食した記憶が味覚を育てた、とお話していらしたが、さしずめ私の原典は料理音痴の母の料理をいかに食べないようにするか?だったことになる。 それと父の釣りのおかげ・・・。
貧乏な今は大好きなスッポンは食べられないが料理法は舌が覚えているのだ、命のカツオ出汁に利尻の昆布をきかせ、焼いて焦げ目をつけた長ねぎのぶつ切りを浮かせれば、鳥の笹身で代用しても十分満足できるはず。 鳥には生姜で下味をつけ片クリ粉でまぶせば、スッポンのとろみも真似できる、そのとき一旦別の鍋で茹でてから椀にいれて焼きねぎちらし、吟味した出汁をはる心掛けがあれば貴女も料理の天才間違いなし!といえるだろう(笑)。 
味覚は幼少に全ての鍵がある・・ところで最後の晩餐だが、あれやこれやとまだ迷う。 もう少し迷う時間もあるだろうから何にしようか楽しみつつ、、まだ迷っていたい。 


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