パンドラの函 2

人間の運命を考える時、私は性格というものがその人の運に大きな関わりが在ると信じている。
恵まれた環境や優れた体力が在っても活かせない人はいるし、反対にこれ以上失うものが何も無いようなつきとは無縁の人でも並みはずれた精神力を武器に人生を生きぬける。
天の配剤とは良くいったものだ。 境遇を憂れう前に自分の性格の弱点を見極める心がけさえあればもっと生きることに容易くなるというのに。 人間の弱さは他者と己を競べる愚かさから抜け出さない限り永遠に続くのではないか?迷い続けるのではないか? 
そんな事を漠然と感じながら天命とは与えられた人生を逃げず投げ出さず生き切る事に意義(目的)が在る、と思うに至った昨今である。 
山あり谷ありの人生を慌てず騒がず生き切る覚悟も或種スポーツとおなじ己との闘いの連続につきる。 運動はまるで音痴な私だが精神力は運動選手と同じ心構えのつもりだ。 これも性格の一つだと思う。 
家庭があり夫も居てなお仕事に意欲を持ち続ける私を我が儘者と見る人も多いと思う。 家庭を捨てて仕事に生きる道を選んだ理由を少し書いてみよう。 
息子を産んだ後一番始めに夫だった人から「君は男の子の母に成ったのだからだらし無い姿を子供の前で絶対に見せないように」と言われた。 
これは示唆にとんだ言葉だった。 夫の前でもちゃんと化粧と身だしなみは欠かさない私がより努力するように、と申し渡されたのだ。 
自分と違う性を育てるということはそれほど礼節が要るよ!という事だ。 胆に命じた。

私は小児麻痺といわれる軽いハンデをもって生まれたが、それは誤診で戦後の医学では立証出来なかったに過ぎないが、本当は筋肉の病気で、駆け足、階段の昇降、重い物の運搬等に著しく能力低下が目立つ虚弱児だった。 でも障害は軽く日常生活には取り立てて問題は無く時間さえかければ人並みに何でもできたし傍目にはそれと分からず過ごせた。 それが誇でもあった。 
小児麻痺は遺伝しないが、もし他の病名であれば? 妊娠を知りすぐ当時掛かり付けの医師に相談したところ言下に全く心配ない!と遺伝の可能性を否定されたのだ。 
それでも用心深い私は万が一のことも考慮にいれて帝王切開をしてくれる医者を探し万全を記して出産に望んだ。 帝王切開であれば母体を犠牲にしても子供は安全に取り上げられるからだ。 
生まれた男の子は問題なく見えた。 安堵に胸を撫で下ろす家族の姿に痛みも安らいだ思いでがある。 
1年ほどは成長も他とかわりなくおむつも早く取れて平穏に過ぎていった。 
ところが立ち上がる時私と同じに膝に手を突いてヨッコラショ!と立ち上がるのだ。 検査の結果、遺伝している事が解った。 
私は女だから家庭の事を上手くやりさえすれば・・・だが男の子は? 毎日その事ばかり考える日々だった。 これは母親が余程しっかりしないと軟弱な男を作ってしまうことになる。 
初めに夫から申し渡された礼節に加え意地と根性までも、女親は見せて行かなくてはいけないのでは? ボンヤリとだがそれが息子に対する責任の取り方だった。 

甘やかされて庇護されっぱなし、我が儘な私の轍は繰り返す訳にはいかない。 そんな事では苦労するのは当人なんだから・・・基本的には自立させ、どうしても人の手をかりなくてはならない時に心から有難うが言える人間だけにはしておこう!と決心したことが根底に在っての選択である。 
易しい人生と難しい人生が在った場合、困難を選べ!という先哲の教えに従ったのだ。 正しいかどうかは何も判ってはいなかったけれど。 責任のようなものを痛感していた。 
弱者が弱者を育てるという難問が私の人生に大きな課題として立ちはだかった。 
似たもの同士の組み合わせである私達夫婦、アーティストは一つ屋根の下では育たないとも言う。 社会的責任からは遠いところで生きている夫への負担は避けたかった。

運命は潜在意識の方向へ!自分が想い描く方へと歩いてゆくものだ、私の決心が甘い上に詭弁だったことを証明するかのようにさらなる試練が繰り返され、軌道修正せざるをえない事が再三あった。 
一難去ってまた一難、手探りで歩いてくるうちに孟母たる人生の半分は既に終わってしまったことにある日気づいた。 しかも年月という薬が徐々に私を慣らしてくれた。 
今となってはなんて事は無かった、と強がってみせてもサマになるだけの年月が過ぎたのだ。 さして苦に成らなかった、が正直な感想である。 
別の人生も在っただろうがこれも性格のなせる業、案外似合った運命の選択だったといえる。 

こうして守られる事をあてにする人生を放棄して、攻撃こそ最大の守り、という格闘家?みたいな人生が始まったのである。 その為には働く必要があった、自分で糊口を稼ぐ経験なしでは自信に繋がるものは何も見出せなかったのだ。
稼ぐという体験は生まれて初めておおいなる安心を私にもたらした。 大袈裟だと笑われてもしかたがない、動物占いにたとえれば千里を走る虎!なのだから。 たとえ手負いであっても(笑)。 


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