2007/10/15 月曜日

医者の資質

Filed under: エッセイ, 骨折日記 — patra @ 4:17:22

骨折日記が途中で尻切れトンボになってしまったのは,母の部屋と木戸通路をリホームしていたせいで時間がなかったのですが、もうさしてお伝えする事件が無いのでした。
当時の日記には両足の骨が完全についたよ!と先生に言われたのは6月4日、部長回診で「骨がついたのでリハビリを,限界までやるように」と言われた!とある。

この時、部長先生は「もう駄目かと思ったら嬉しい誤算だったね、もし付かなかったらもう一度骨移植を考えなくちゃならなかったんだよ〜」と元気な声で嬉しそうにお話くださる。もちろん私もうれしいので早速息子達に報告する。

ピックアップ歩行器で歩く練習をしすぎてアキレス腱炎になってしまったのは、この直後だが、先生からは「痛み止めを使ってでも頑張ってください」と言われて焦った。

父の妹、叔母が死んだのも丁度その頃、6月10日、これで父の兄妹10人は全員この世から居なくなってしまったのか。私の姉が実に良く面倒をみてあげていた。娘を持たない叔母は何かと姉を頼りにしていたが大往生と聞きホっとする。
入院中,沢山の知り合いの不幸が,重なったが成す術なし、ひたすら冥福を祈るばかりだ。

6/11日
待っていた靴の仮合わせに看護師さんが4、5人見学に来て驚いたが、皆の期待も虚しく足先が,逆ハの字に外側を向いてしまいガ二股になってしまう。例によって外側が低く内側が高い、どうしてこうなるの?という代物だった。踵を計ってみても,左右に狂いがあった。暗澹となる。踵を貼り直していないまま、ただ細身に削ってあるだけなので・・もちろんやり直しをお願いした。

私の失望を知ってか看護師さんたちは何も言わず側から離れていきました。

6/19日渋谷のスパで爆発事故発生・・・はじめはテロか?と驚いた。恐いわね〜と部屋の患者さん達とTVに釘づけ、それにしても入院以来、事故が多かったように思う。春には神楽坂で火事があり、きな臭い風がリハビリ室まで漂ってきたりした事があったり・・・

6/20日ノリが大きい花束を持って見舞いにきてくれたが,母が心不全だと教えてくれる。一人留守番が限界なのだろうと急に不安になる。

6/24アビリティーズの人が家に来て車椅子が入るか調べに来たそうだが、車椅子など使うつもりが全く無いので焦る。家の構造も広さも絶対に無理だしね。建築家と一緒に来て散々首をヒネって帰ったと母が報告するのを聞き不快になる。
歩くつもりでいる私です。歩行器でリハビリ室を3周するが、肩に力が入りすぎ頭が痛くなる。

看護学校の生徒さんが又ついてくれる事になり、若くて熱心ゆえ、私が歩く練習時にサンダルが脱げないように一々包帯を巻いているのを視て、色々と工夫してゴムやサポーターを利用し簡単着脱を考えてくれました。

残念ながら,車椅子に乗って足を上げ自分で取り付けるには包帯が一番易しいので、これを超えるアイディアはさいごまで出てこなかったけど、その研究してくれる気持ちが凄くうれしかった。
6/27日

足がダルいと伝えたら暖めたタオルでマッサージをしてくれたのも生徒さん。若い希望に燃える看護師の卵さんがず〜っと希望に燃える職場であるには大変な仕事である。

7/2日
部長先生が「靴が出来たら家に帰れるかい?」と聞かれたので「大丈夫です」、と答える。自分の中では既に退院を決めているのだから・・・

部長先生曰く政府の補助金が出る範囲でしか靴を作れないので,私の理想のようには出来ない、あれが限界かな?という事をしきりに口になさる。
「君の言う靴はとんでもない値段になっちゃうよ」

でもそれは業者さんと、初めに話が済んでいる事だった。もし予算オーバーしても全額前払いなので靴屋さんには何も迷惑はかからないし,良い靴が出来さえしたら自費でも構わないと思っているのだから・・・。
不具合なのは単に職人と中間に立つ装具屋さんの無能だと思う、と言ったら部長先生,本気で怒っていました。「優秀な人なんだよ、ここでは」
「じゃ靴は諦めましょう、もう外には出るつもりもないし,病院には迷惑をおかけしません」と私。

4日,レントゲン室に降りた時,今までは抱えて台に上げていただいているので
自分で立って乗ってみたら「オ〜動けるようになったんだねー」と技師さん達が喜んでくださった。実に5ヶ月もかかったわけだ。

この頃,手がしびれるので担当医に話すと首のレントゲンを指示してくださる。ところが「首の神経は太いし軟骨も減っていないので大丈夫!」との事。
でも1番心配なのは脳・・リハビリ室に多くの脳梗塞の患者さんが来て機能回復の運動をしているけれど手足に麻痺が残るせいで,皆さん大変なのです。

万一、脳の障害まで起きたらそれこそ再起不能なので脳のMRIを退院前に受けておきたいとお願いすると脳外科の部長先生で副院長先生の予約をとってくださった。
「名医をお願い!」と私が悪ふざけしたら本気になってくださったのだが、歯科も皮膚科も全部,部長先生クラスを紹介していただけたのは整形の主治医が部長先生だったお陰だと思うとラッキーでした。

わざわざベッドまで私の様子を聞きに来てくださった脳外科の副院長先生を一目みて誰かに似てるな〜と思いながらお話してるうちに「アッ、野口英世博士に似てる」嬉しくなる永遠のミーハーぶり・・・

退院前にMRIを撮りましょう!と優しい笑顔でお答えになる先生はやはりお名前も野口先生・・お髭までそっくり。
やさしさは患者をとても安心させてくれる,医者の重要な資質だとおもいました。

整形の部長先生はカリスマ性があり周囲を明るくする力があります。きっともう手術はなさらないのでしょうが,先生が回診に見えると患者は皆元気を貰えるような気持ちになり嬉しそうに笑います。
私がつけたあだ名はデコイ先生・・・、(水辺でカモを引き寄せるデコイ・・・)実力のある先生だと思います。患者を引きつける魅力があるのですから。患者を鴨に見立てるのもナンですが病院経営は接客商売とも言えます。

ただ実際に手術するのは若い医者ですから若い医者はひたすら技術を実戦で磨くのが使命でしょう。
そう考えると私の担当医だって一生懸命,実戦しているのに違いなく、忙しくとも真面目に懸命に・・

ある日,私は担当医に

「先生は間違っています!なぜ先生は何時も、何も変わりありませんね!!とエクスクラメーション・マークでお尋ねになるんですか?どうして何か変わりは、ありませんか?とクエッション・マークで聞いてくださらないのでしょう?断定されるように何もありませんね!と言われたら我々患者は何か質問したくとも、何も言えません」

びっくりしたようなお顔をなさってから部屋を出ていかれた担当医は翌朝、部屋に入るなり「何も変わりありませんか?」
私は嬉しくなって「先生、ありませんか?と聞いてくださいましたね?ありがとうございます、何も変わりありません」

退院の間際になって,我々は小さな歩み寄りが出来たのでした。

2007/9/24 月曜日

退院作戦

Filed under: エッセイ, 骨折日記 — patra @ 6:48:16

「失礼ですけど、貴女は何処がお悪いの?」そう声をかけてくる同室の患者さんもいるくらい、はた目に私は元気に写っていたようですが、只の骨折にしてはどうも松葉杖練習もせず、何処をどうしたの?と疑問を持たれたのです。
看護師さんさえ「申し訳ない不勉強なんですが、何故イチダさんが立ち上がりが不自由なのか、始めは分かりませんでした」とお風呂介助の時にも言われました。

普通の骨折患者は骨が付かなくとも松葉杖の練習をし歩くことは、両足不自由でも、結構上手に出来るものなのに、手の力も弱い私は「一般的」なリハビリはかえって危険なのだ。ピックアップで歩行練習するにも肩に力が入ってしまう。
つまり腕や脚の骨の力で立っているようなもの・・・腕も手の平も真っ赤になってしまうくらい負担がかかるのです。
先天性ミオパチー患者が骨折し入院するのは、きっと病院側も初体験なのでしょうから、こうなったら自分の身は自分で自宅リハビリをしよう・・・と伝えると、
「え〜珍しいですね、皆さん,病院から出るのを嫌がるのに・・」リハビリ療法士の先生が驚きます。
いくら病院で慣れても自宅で慣れなくては意味がありませんから!と私も腹を決めました。
早速、アビリティ−ズ社に電話を入れておいた座面が高くなるグッズ等を病院へ持ってきてもらう事にしました。

リハビリグッズではブランドとして有名なアビリティーズ社はすぐにデモ商品を山にして病院へ運んで来ました。何事か?と目を丸くする看護師さん達。

車椅子は今まで座ぶとんを敷いて座高を上げていましたが、空気圧で座面を高く調節できるロホ・クッション、弾力があってとても具合が良いので、10センチの高さを自費でお借りしました。本来ならば病院に備え付けてあってしかるべきクッションなのです。
これを車椅子に敷いて立ち上がりを練習したら、手すりに掴まりながらもその日の内に立ち上がれました。レンタル料は月5千円です。
其の時、座面から立ちあがるバネ状の跳ね上げ式とかも推薦されたのですが、脚がしっかりしていない私には、かえってバネの勢いが怖かったので、これは却下。
滑り止めのシートも奇麗な緑色のチェックを自宅用に2メートル購入。日本製と違い洗っても効果が落ちない上に汚れも付きにくい利点がある置くだけの(接着剤なしの何度でも剥がせる)シートです。

私が欲しかった椅子、自動で上下しブレーキが手で届く範囲にあるアメリカ製の事務椅子がやはり気に入りました。回転に85センチあれば良い小回りが利く椅子です。
問題は値段、自費で購入するには2拾数万も掛かるのです。
介護保険で借りるには、障害の判定が2以上なくては借りられません、その判断は担当医の診断書を元に区役所が査定をするので1ヶ月ほど時間がかかります。

担当医に書類をお願いをする。
「それは退院する時でしょ!」・・もう待てない私。
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2007/9/18 火曜日

アキレス腱炎になる

Filed under: エッセイ, 骨折日記 — patra @ 7:49:50

4/24日
靴の型どりをしなおす。
頼んでおいた看護師さんが来なかった。不誠実だとおもう。
石膏のついた包帯を水で濡らし足に巻き付けて、固まりかけた所でカッターで切り
それを元に原形を作るらしい。ヒールを履いた状態にして型を取りました。
私の書いたデザイン画と同じヒールの高さで型が取れた!と感心される。

4/25日
担当医が来て「右足の膝にボルトが当たっているが、取るにしてももっと1年先じゃないと手術できないから我慢して!」と言われる。
実は何ともなかった膝が、立って居る練習を始めたと同時にリハビリ療法士が「立つ!って言うことは立ち上がる!ってことだから車椅子から立つ練習が大事ってことです!!」と立ち上がり練習を強要したせいで膝を捻ってしまったからです。

論理は分かるけど、筋肉の弱いミオパチー障害は立ち上がる行為が一番苦手、ズボンの後ろを持っていただき立たせてもらってやっと立っていられるだけが今の状態なのに、45センチの低さの車椅子からは今までさえ、立てたことは1度も無い。
家にバースタンドを作ったのも、一々低い椅子から立ち上がるのは体力を消耗するだけ無駄なので立ち上がり易いバースツールにしているくらいだ。
何度説明しても今時の語尾を上げる口調で「で〜も、立つ!!と言う事わぁ!立ち上がるって事がぁ出来なければぁ」を繰返すばかり。

内心、前に出来なかった事が急に出来るわけないじゃん、戯け!と若い療法士の遣り口に腹が立ってしかたが無かったがせっせと苦しい練習をしている内、完全に痛めてしまったようだ。これは退院した今でも痛い。

4/28日
骨はモヤっと出来かけているらしい。
前後して部屋の人達が退院、とうとう骨折組み2人だけになる。連休中に何としても立ち上がっりが出来るようにしよう!堅い決心をして、アビリテーズ社に電話を入れる。この整形外科のどの設備も私には不備で家に居るより不便極まりないからリハビリにもどんどん信頼性が失われつつあったのだ。エレベーターまでセンサーが効かずに挟まれるアクシデントが2回もあった。

5/5日
柏餅がついたのが愛嬌だった。ノリがローストビーフを持って来てくれる。

5/7日
帰るために頑張ってリハビリをしていたが膝が痛くてたまらない。
この侭、金具を入れっぱなしにしたい先生は「我慢して・・」と言うばかり。説明が今一つ納得がいかないので看護師に伝えると「じゃ先生を変えますか?」に呆れる。そんな事で責任を摺り替えられるのは困る。私の障害が治療に邪魔なのは確かなのだが、問題意識を高めて欲しいだけなのに・・時間が無くてコミュニケーション不足。

5/8日
夕方突然部長先生が回診で見え「どうイチダさん!リハビリの成果、見せてよ!」と元気な声で「左足はしっかりついたけど右は未だ無理、このまま付かないと再手術も考えなきゃな、無理しないでね」に仰け反る思い。他の先生方にも「今まで出来なかった事は無理させないようにね、元々筋肉が弱いんだから!」と念を押してくださる。家から高い椅子も持って来て良いとのこと。

5/9日
ついに満室になる。

5/10日
骨がつきつつあるのが分かったので大分リハビリに精が出る。腰揚げ練習も前屈みだと上手にできるようになった。今日で丸3ヶ月過ぎたわけだ。

5/11日
何となくだけど担当医が愛想が良く成った気配・・大好きな可愛い天使看護師さんが「もっと良く話を聞いてあげてください」とカンファレンス時に直訴してくれたそうです。可愛い子が気立てが良いんだから、そうで無い人は意地悪だったら浮かばれないのに・・と独り言を言ったら前の御夫人が吹き出していました。
その夜は看護の日とか・・下のロビーで音楽会がありました。筋肉自慢なのか二の腕を何時も出してる強面のおじさんが車椅子を会場まで押してくれました。
ふしぎに皆さん足が悪くなる経験をすると、とたんに親切になるなぁ・・・
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2007/9/9 日曜日

不協和音

Filed under: 骨折日記 — patra @ 4:20:36

4/2日
ぎゃ〜っと思った。なんと左足の膝がレントゲンで見るとヒビ!が入っていたらしい。装具靴は未だ必要ない・・と宣言されてしまう。残念、又立ちあがり練習が延びることになる。腹がたっていたのが顔に出たらしく美人看護師さんがしきりに慰めてくれました。
予約してた装具屋さんが部屋に来て私の持っていたショートブーツを見て「これ良いですね〜」と言いつつ自分の持ってきた見本を背中に隠し「これは無かったことにしましょ」と私の靴を見本に持って帰っていったのに笑ってしまう。

部長先生が久しぶりの回診で「膝みせて!何とも無い?」「まだ骨がつかないから心配だけどリハビリを今の調子で頑張って」と言われる。
過重を掛け始めた事で足全体を写したら左膝にも微かにヒビがあり既に薄く骨がつきかけているらしい。
息子にメールで報告すると
「散々動かして置いて、大丈夫?は無いよね〜!」と言ってきたので笑ってしまった。まさか左膝も悪いとは思ってなかった私、入院して直ぐに左太ももに包帯を巻き取っ手を付けて自分で引っ張っては動かしながら、膝が固まらないように自主トレしていただけに、たいしたヒビじゃないのだろうが先行きが不安になる。
初期段階では疑わしい部分は全部レントゲンを写すべきだ!・・・見落としは案外多いと思う。第一私が転んだ時は両膝をついて正座するように転んだと説明したのに、両方の膝にタイツの上からホカロンを貼ってあったのでクッションになって無事だとばかり自分でも思いこんでいたのだから知らぬが仏、痛くもなかった。

4/9日
右の金具で大腿骨を支えているほうの膝に違和感を覚える。
荷重をかけるリハビリはそのまま続けていた。

4/10日
ついに2ヶ月が過ぎ3ヶ月に突入・・・相変わらず骨はついていないが担当医は何も言ってこない。手術が続く担当医は、明らかに消耗し、疲労困憊してるようだ。ほとんど姿を見せないか見せても「何ともありませんね!」の「ありま」でつま先は出口へ向いているから数秒で姿が消える。

そこへ夕食後事件が起きた。
いつもの見回りで看護師さんの一人(ベテラン)が「この先、市田さんどうするの?3ヶ月経ったら他へ行かないと、ここは手術治療専門だから・・長く居られないのよ」
認知症のお婆さんと同じような宣告が我が身にも。「家に帰ります!!」と答えると「その方が良い・・・リハビリ病院は良く無いから・・・」と晴天の霹靂のような事を言う・・・。病室中大騒ぎになってしまう。90歳のKさんは既に4ヶ月も骨がついていないが他の先生から「ちゃんと直してあげますよ」と言われているのに?と言い出すお隣のおばさまや人工股関節手術で入院している老人病院の看護婦さんが「骨がついていない患者を出すなんて考えられない」としきりに憤慨してくださる。しかしこの脚でどうやって帰るのか?
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2007/9/5 水曜日

老人問題についても学ぶ・・

Filed under: 骨折日記, 家族 — patra @ 0:16:03

セーフスという超音波をかけている間はベッドの上に釘付けなので毎朝、早くから右太ももと左臑に20分づつ計40分機械をかけていました。振動も何も感じないので果たして骨はどうなっているのでしょう。終わったあとがいくらかダルイくらい・・・。
「その内、効いてくるよ!♪」担当医の嬉しそうな笑顔に、アレ!?先生が笑ってる?入院以来はじめての経験でした。「な〜〜んだ!、笑えるならもっと笑顔でいればいいのに・・・」とか密かにおもう私も然り、この時期になって、やっと表情が柔らかくなってきたのが自分でも解りました(笑)つまり睨みあってた路上の猫同士だったかも。

部屋は4人部屋で私が入院して以来4人ほど入れ替わりました。

目の前のベッドには母と同じ年齢の老婆が一番古株で、やはり家で転倒、治り難い部分を骨折してらしたが、「痛い、痛い」と念仏のように呟くばかりです。お身内か?と思っていたお見舞いは日替わりのヘルパーさん達で、一人暮らしの老人だと分かりました。しっかり受け答えが出来ていたのが、在る時から言動がおかしくなりました。日々痴ほうが進んできてるように話しの辻褄が合わなくなっているのです。このヘルパーさん達は特筆すべき優秀な人達ばかりで、病室に入るなり新聞の見出しを見せ日付けを認識させ、散歩にも連れ出す等を、短い洗濯の時間を利用してお婆さんを励ましてました。

担当の看護師さんは16人交代で、申し送りをしても、細かい事は伝わりづらく毎日、目の前で様子を見ていた私が、何時のまにかお婆さんの事情に精通してしまいました。
お婆さんは初めから身寄りが無いわけでは無く、夫と娘さんに先立たれた後、介護保険を利用し気丈に独り暮らしが出来ていたのに、廊下で滑って骨折したそうです。
[誰か,廊下に何か塗ったのよ!」と想像力逞しく話すお婆さん。
そのお婆さんを他人事とは思えず、ベッドから乗り出したり、足を冊に挟まれたりする度に呼び鈴を押し、看護師さんに知らせてあげていました。
忙しい看護師さんたちは「痛い痛い」と頻繁に騒ぐだけでどう痛いか説明できない老人を段々相手にしなくなったからです。

救急で入院し銀行預金を当人じゃないと引き出せない・・といった最近のシステムもあり、転院の話が病院から出された当りで妄想や疑心暗鬼にかられ、物を投げたりベッドから落ちたり、呼び鈴をハサミで切ったりと、危険になってきました。
何が一番心配なの?とお婆さんにベッドから声をかけると看護師さんが車椅子で私のベッドまで連れて来てくれるようになりました。
「留守の間に家が病院に乗っ取られたのよ、私の部屋なのに襖もタンスも改造されちゃった。貯金通帳まで盗まれたのよ」と真顔で訴えるのです。
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