2009/9/4 金曜日

エイジングヘアとの闘い

カテゴリー: お洒落, 骨折日記 — patra @ 12:02:36

CIMG4285CIMG19012007年の退院後と2009年で比べるてみると骨折後のダメージが一番顕著に現れたのは髪の量です。髪が骨にとられて、特に前髪の分量が少なくなってしまいました。いい歳をして前髪をたらしているのはご多分に漏れず,幼児性故ですが。親離れが遅いのは超長寿な母の未だ子供扱いのお陰?で迷惑極まり無いですが、こればかりは仕方ない。基本はおカッパさんが好きなんです。前髪が少ないと、どう誤摩化しても年令以上の老け顔になってしまいます。元スタイリストとしては工夫しなきゃ・・・とヘアバンド風にターバンをしてます。入院中に白髪も増えて、髪を染めないと見苦しい・・・でも黒く染めると地肌が目立つので嫌。あのやたら分け目が目立つ黒髪の老人は頂けないし中途半端な色も困るしでキャラメルブロンズにしました。この色は好きだけどキューティクルが見事に壊れ艶と張りが無くなってしまいました。むかしから髪は女の命って云いますものね。髪の量を増やすべくトマトや昆布をせっせととっていますが、まだ効果なし・・・と思っていたら産毛のような細い毛がオデコの際に生え始めました。
さいきん良いヘアトリートメントをみつけました。パンテーンから売り出されている夜用トリートメント!結果が出るとうれしいのですが、気のせいかちょっと・・・

入院中,発見した事は奇麗なおばあさんは例外なく髪の毛が多くフサフサ、色白い人。そして痩せてる人よりぽっちゃり系おばあさんは髪が真っ白で遠目にもそれは見事に奇麗でした。女性にも油断できないのが髪の量だった!と実感する此の頃です。

2009/8/30 日曜日

2回目の顛末

カテゴリー: エッセイ, 骨折日記 — patra @ 7:35:12

退院1年目に思う・・・というエッセイを、去年夏に載せたわずか1ヶ月後に又も転んだ私は相当の罰当たりかなんかですね。
靴は不具合だったので使ってませんでしたが、つたい歩き、杖が使えるようになってました。用心のためにピックアップ歩行器を併用していたのです。

その日は凄く蒸し暑く、家に来て下さるへルパーさんは体格が良く汗かきなのでクーラーだけでは足らないだろうと自分の寝室のデロンギ乾燥機を付けてから戻る所で、僅かな引き戸のレール(5ミリ)に弱い足首が乗った瞬間によろけたのです。訪問看護士さんの目の前でした。後で聞いても何故よろけて尻餅をついたぐらいで骨折したのか解らないくらい静かにズルっと床にお尻をついたそうですが、なんせ狭い通路なので足に全体重がかかってしまうと、筋肉の障害(ミオパチー)がある私は自分を支えられないのでしょう。とっさに掴んだ植木鉢ごと倒れました。

前からお直ししないといけない廊下、去年とほぼ同じ場所ですから本当はいの一番に直すべきでしょうが母の環境を直すのが、私には先決だったのです。

運良く看護師さんの目の前で転んだので、すぐに整形の先生が順天堂に連絡をしてくださいましたが、ここが大問題です。当初は受け入れ可能だったのか、レントゲンを沢山写し診察室で見ながら、既往障害の話しなどし診断する内に部屋が5万しか空いていないとの事、まさか整形で日に5万もかけて3ヶ月入院したら破産ですから困る!と言いますと「じゃここでは看れませんので元の手術した先生に頼みなさい」とニべも無い。
おぉ、世間で噂のたらい回しの根源は部屋代も有りか?

去年、退院する時に「2度と転ばないでね、もう来てはダメ!!」と言われたばかりの逓信病院に行くのは面目無いし恥ずかしい。果たして受け入れてくださるか不安な私に順天堂の先生が連絡をしてくださる。「すぐ来なさいと言ってますよ、救急車呼びます」
「来ちゃダメって言われてたんですけど・・」「そんな事言ってませんでしたよ」と苦笑する先生。
「再起出来るかしら?」しょんぼり呟くと側で着替えを手伝ってくれていた順天堂の看護師さんが「あなた、しっかりしてるから大丈夫!」と声をかけてくれたので、すぐその気になるゲンキンな私。

救急搬送された日は若い知らない担当医でしたが「良く来ちゃダメと言われた病院へ又来ましたね!」と笑いながら止めをさされるし冷や汗で平謝りしました。

去年と違う6階へ運ばれる。この6階の担架風呂を借りていたので其の方が便利と思ったのですが早とちりでした。あの優しい7階の看護師さん達と違いなんか?言動に刺が在る感じ・・・ついて来てくれたケアマネジャーさんや看護師さんは婦長さんまで勤めたベテランなので首をかしげて、でも黙ってましたがどうも救急で運ばれる人間には邪険な対応の様な気がしますが受け入れて頂けただけでも感謝しないとですね。

入院した日は1晩中、雷が轟くように鳴っていました。真っ黒な窓に光る稲妻をみながら、いくら脳天気な私でもへこみました。万事窮すなり。
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2008/7/22 火曜日

退院一年目に思う

カテゴリー: 家族, 日々雑感, 骨折日記 — patra @ 3:15:56

去年の今日、私は介護タクシーを予約し、文字どうり一人で病院を退院してきました。前日に姉が自分の小さいミニクーパーに乗るだけの荷物、といっても二つくらいを持ち帰ってくれました。その他の荷物は病院内の郵便局からゆうパックで2回にわけて6個の袋詰めを自分で自宅にだしました。これはテストでもありました。たった一人で入院したらどれほど困る事があるか?を知りたかったのですが、ほとんど何も困らなかったのは発見でした。困ったのはむしろ自宅に帰ってドアを開けて介護タクシーのオジさんに押して頂き、車椅子から中を見た瞬間、久しくみなかった母がもの凄く想像以上に老けていたこと。家の中が半年でメチャクチャに汚れていた事、「歩けないなら退院してこないでよ!!」と心配するあまり叫ばれた時でした。母も相当に自分の体調を我慢していたのでしょう。開口一番がおかえりなさい、でもお疲れさまでもありませんでしたから、実にヤレヤレでした。

やっと上がりがまちに立ってピックアップ歩行器につかまり自分の椅子に座った瞬間から・・・手は無意識にその辺のゴチャゴチャした書類の束を片付け始めていましたもの。悲しかったのは2月に倒れた当時のままの冬のカーテン、冬のテーブルクロスが,埃っぽいまま暑苦しく垂れ下がり、「あんな部屋でどうやって市田さん、これから暮らすのかしら・・」病院でお会いし、その後御世話になるケアマネジャーさんの声が脳裏に浮かびました。病院から電動トイレの工事の手配のため下見に行って頂いた時の言葉でした。あぁ、これでは心配されるのも無理からぬ話だな・・・。姉が昨日,病院の帰りにでも寄って奇麗好きの私のためにお掃除でもしてくれている、と期待した私は甘かった。埃だらけ荷物だらけのテーブルにお花だけが可愛く咲いていたのはパリに居る息子たちからの退院祝い。

なにもかもバランスを崩してしまった秩序の欠落してしまった部屋は埃にまみれて、ヘルパーさんの手が届いていない結果を如実に物語っています。言われない事はしない・・・主義の彼女達を90の母には指導できないからです。猫はまとわりつくし、第一もの凄く猫のおしっこの匂いが立ち籠めていました。

姉がお昼ご飯を買ってきてくれて初めて彼女も大腸癌に冒されていると聞き,”掃除どころじゃないわよ、命がかかってるのよ!”と言われて絶句。今まで、時々でしたが無理して病院に来てくれていた!と知りました。テーブルの位置だけ直してもらって兎に角 無理しないように早めに引き取ってもらう。車で世田谷まで帰るには渋滞になってしまう時間帯を避けねばなりません。

それからの1年、くる日もくる日も整理、整頓、家の修理はブログに綴ったとうりです。相当に奇麗好き、と自分を自負していましたが木戸の納屋といい父の部屋,母の部屋は人様にお見せ出来ませんでした。私の意志が働かない部分は荒れ果てていました。人生は何時、何が起きるか解りません、がもうソロソロ死を見つめて生きてゆく覚悟が必要なのでしょう。心置き無く老後を迎えるには、我が母の無手勝流では最早到底,済まされない時代です。そう心がけ準備していた諸々を一気にこの骨折入院のお陰でクリアーできた最近です。特養しか入れないのに特養嫌う母、ならば家で看取るしかありません。その為には私こそが気持ち良く暮らす必要があるのです。

あともう一息の所でガス欠気味の私ですが最晩年準備は整いつつあります。ちょっと一休みして、筋肉の運動に取りかかり更なる明日へ向かいたいものです。

「お母さんの面倒なんか、君の身体では危険すぎるよ」と部長先生に言われましたが、運命があるとしたら、それを克服するのが私の生きる道・・・何とか平常心で日常をこなす事が出来ています。母のケアマネジャーさんが替わったお陰で全てが気持ち良くスムーズに動き始めたことを感謝しながら,熱心な人々に出会えて頼もしく有り難かった1年でした。

2008/5/4 日曜日

思い出すと胸が痛む

カテゴリー: 時代, 骨折日記 — patra @ 1:01:57

入院中、いちばん印象に残っている話を未だ書いていなかった。それはある親孝行な青年の事。親孝行と括る言い方さえ青年の心中を察すると軽々しく言えないが・・・。ある日同室の御婦人が部屋にもどってくるなり「偉い人を見たわよ。お母さんの髪を洗ってあげてる、感心しちゃった」と教えてくれたので閑を持て余していた私はドレドレと早速その青年をみにゆきました。廊下の洗面台でお母さんらしき人の髪を洗ってあげていた人は毎日のようにお見舞いに来ていた、無口な青年で顔見知りでした。お母さんは車椅子で何処がお悪いのかはわかりませんが多少認知症も患ってらしてニコニコするだけでお口を利きません。ある日などあまりに忙しい看護師さん達に小1時間もトイレに置き忘られた事もありました。そんな時でもニコニコ・・ホッペの赤いまだ充分に若い50代過ぎのお母さんをその青年一人が熱心に見舞っていたのです。洗濯から洗髪、トイレの介護まで黙々と静かにこなす青年に病室のおばさん雀連中は皆,口々に感心するばかりです。私がもっとも心配した事は、果たして仕事と介護の両立がこの先出来るのだろうか?という疑問でした。ちょうど去年の今頃のことです。だんだんお母さんの表情が暗くなり息子さんに車椅子を押されていても下ばかり向きはじめたのです。「どうですか?」と声をかけても「一進、一退でどうも良くありません」息子さんが答えます。病室雀のおばさん達は全員、その孝行息子さんのファンなので影ながら心配していました。ある日廊下で胸部外科の担当医と青年が思い詰めたような表情で立ち話をしています。どうやら急救治療が終わり,後期医療のための転院が決まったようでした。今、騒がれている直る見込みがない患者は(長期療養の療養病床で入院する70歳以上の患者は、食費や光熱費など居住に必要な費用が原則、自己負担となる。)つまり自費、療養型病院へ転院を義務ずけられたのです。もし母子二人だけの家庭で仕事をしながら認知症の親を見て行かなくてはならないとしたら・・・彼がどんなに優しい親孝行な青年でも任が重すぎます。お母さんは心でその青年の困惑を察知したのでしょうか、どんどん暗くなって顔を俯けるばかり。「医療相談を受けなさいね、」と伝えようと思い注意していたのですが2度と廊下で逢えないまま,親子は姿を消しました。65才より若かったように見えたお母さんは介護保険を、きっと未だ使えません。医療の狭間で何の援助も受けられないこうした家族がいっぱい居るのだと思います。「彼のために祈ろう!!」我々はそう呟いたものです。自分たちで身を護るしかない医療制度が後期医療制度なのです。ぼんやりとはしてられません。

2008/2/11 月曜日

骨折より1年目・・

カテゴリー: 日々雑感, 骨折日記 — patra @ 2:06:39

豚汁と春巻き豚汁とビールと雪が降ったり相変わらず寒い日本・・10日は去年、骨折した日の同じ時間帯にベッドにもぐっていました。
と言うのも去年入院していた病室に全く同じ日に2度目の骨折をし、入院なさった88才の老婦人がいらして「なぜ同じ日に骨折を繰り返したのでしょうか?」と質問されても「それは油断でしょうか!」としかお答えできなかったので私も用心をしたというわけ・・です。寝不足だったし・・・

昨夜の内に朝、昼,と母用のご飯を用意したので猫と一緒にグーグー
夕方電話で母が何やら「何方?え!?」とお話してます。
ロイド・エゴイーストさんらしい・・・飛び起きるってのが全然出来ない私(笑)

1年経って大分動きもスムースになり家事はほとんど出来るようになったら、今度は部屋の真ん中を横切る為のピックアップ歩行器が邪魔・・・
それでも油断すると危ないので
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